急行立山号の簡単な解説
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◆ 大阪~金沢・富山・糸魚川を結ぶ急行列車として特急雷鳥号を補完する役割を担っていた急行立山号。デビューは1956年で、上野~長岡~大阪を結んでいた急行北陸号の系統分離により登場した。とはいえ、急行北陸号は上野~福井となったため、福井~富山間は実質的に1往復急行が増えた形であり、新設の急行立山は時刻設定を一新しての登場となった。客車急行であった間は特急雷鳥はもちろんのこと、他の電車急行とも所要時間において大きな差があった。しかし1965年にはついに電車化されて急行レベルに肩を並べた。
1968年10月以降、昼行と夜行が存在していたが、1982年11月ダイヤ改正で共通運用を組む急行ゆのくに号(大阪~米原経由~金沢)、急行くずりゅう号(米原~金沢)など昼間の列車すべてが特急格上げという流れになり、特急雷鳥号に吸収された。
その一方で、生き残った夜行の1往復については臨時列車化されて大阪~富山に区間短縮されたものの特急型電車583系が運用に当たり、B寝台3両という組成も含めてその当時としてはプレミアム感があった。
とはいえ距離の短さは夜行列車としては致命的であり、所要時間も無駄に伸ばすわけにもいかず、存在意義を失ってしまった。参考としてご紹介するが、大阪~富山の所要時間は特急雷鳥で約4時間(距離:327.1㎞)だった。夜行列車を6時間半もかけて走らせても乗りたい人は多くないだろう。
やがて急行立山号を廃止してそれまで14系客車で運転されていた急行きたぐに号を583系電車化することになり、一本化するようにして終焉を迎えた。
◆急行立山号の画像など
大型ウィングヘッドマークを掲げてきた日中の急行立山号。関西から北陸方面へのリーズナブルな旅はこの急行立山号と急行ゆのくに号が支えていた。
かなり色あせた写真ではあるが、1982年と言えば11月に歴史的ダイヤ改正が行なわれた年であり、がらりと変化する直前の関西の鉄道環境を語るうえで欠かせないシーンの一つ。大きなライトが特徴的な、昭和を物語る姿の急行型電車475系だ。貫通扉上の種別表示幕がすでにつぶされているのが少々残念だが、その姿は2010年代まで北陸本線のローカル運用での活躍を見ることができ、息の長い車両のひとつだったと言える。
夜行急行として活躍していた475系時代の急行立山号には昼間とはまた違う魅力にあふれていた。京都駅の1番線ホームで撮影したものだが、この当時北陸方面に向かう列車の中で最終列車の役割も担っていた。
この頃は糸魚川まで足を延ばしており、臨時で付属編成が富山地方鉄道・立山駅に向かうこともあったという。
◆急行立山号のお役立ちサイトご紹介
●【FOSSIL NET】・・・当サイトと同様、愛称別のページで画像を紹介している写真集。急行にも及ぶ、おすすめのサイト。 ●急行立山
●【思いで鉄道探検団】・・・一枚の写真とそれにまつわる出来事が記述されています。 ●1974年・急行立山
◆急行立山号のデータファイル
【登場時:1956年11月19日改正】 運転区間:大阪~富山 1往復 旧型客車による昼行列車。
・・・所要時間:下り7h21m、上り7h30m。
【1964年10月改正】北陸本線・富山電化完成。しかし電車化は見送られた。
【1965年10月改正】電車化。同時に急行越山も統合し2往復に。
【1968年10月改正】夜行の急行つるぎを統合し、昼行も増発⇒4往復に。
・・・所要時間:最速4h52m
【1969年10月改正】糸魚川・宇奈月温泉・立山への延長運転を開始。
【1972年10月改正】1往復を特急格上げして特急雷鳥に。⇒3往復に。
【1975年3月改正】湖西線経由に変更。
【1982年11月15日改正】2往復減⇒夜行の1往復のみに。使用車両を583系に変更し、寝台3両に。
【1985年3月14改正】廃止。