急行だいせん号◆データファイル(2025-7) | 列車データ館
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急行だいせん号◆データファイル(2025-7)

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急行だいせん号の簡単な解説

◆ 1968年10月改正で登場した急行だいせん号は、大阪と山陰中部を結ぶ長距離急行として、末期は夜行のみ、以前は昼夜両方の設定で活躍していた。

昼行列車については福知山線電化と同時に誕生した特急北近畿に格上げ吸収ということで「発展的消滅」と言えるだろう。

一方の夜行だいせん(客車)については、20系客車や14系、14系15型と、元特急型寝台車両が使用されたりして、山陰を代表する列車の一つと言って過言ではないが、夜行列車そのものの衰退期にあっては気動車化(エーデル車両)、短編成化と、どんどん寂しい状況になり、2004年10月改正を最後に姿を消した。daisen14suhafu

・最も印象深かったのは1978年10月改正以降1986年11月改正前まで見られた20系時代の座席車両、ナハ21形。この車両はもともとプルマン式A寝台車ナロネ21形だったのが、余剰が出ていた時期に座席車両が必要だったことにより改造を受けて誕生したもの。とにかく頭上空間が広々としていて何とも言えない解放感がありながら、座席そのものはごく普通の幅だったので身体は窮屈というアンバランス感がなんとも味があった。また、20系らしい大きな窓も、早朝の宍道湖畔を走る下り列車のダイナミックな眺望を楽しませてくれた。

初代急行だいせん号とは?

上で解説したのは実のところ2代目の急行だいせん号であり、先代が存在した。しかも、先代の廃止と2代目の登場がちょうど入れ替わりだったので、愛称は切れることなく引き継がれる形となった。

その初代急行だいせんは京都~大社を伯備線経由で結ぶ客車の急行列車で、京都~岡山の山陽本線区間は急行宮島号と併結運転された。3年後の1961年には急行宮島号が気動車化されたため併結相手が変更となり急行さつま号の上り方13号車から17号車として併結された。

さらに1年後の1962年3月で念願かなって気動車化(キハ58系・5両編成)され、1時間近い時間短縮に成功した。1963年には7両に、1965年には9両へと増結が進み、その間の1964年からは京都~姫路で急行やまのゆとの併結も行った。

しかし、1968年改正で列車名が「急行おき」に変更され、大阪と山陰中部を結ぶ急行の総称としてだいせんの名が用いられることになった。それが先に述べた2代目の急行だいせんである。

*** 画像提供:Kogane-turbo

◆急行だいせん号のデータファイル

【登場時:1968年10月1日】大阪発着の急行を整理統合して急行だいせん号となる。
・ ●運転区間:大阪~松江・出雲市・大社・益田  運転本数:4往復  使用車両:旧型客車・
【1969年10月?】出雲市発着の1往復減⇒3往復に。
【1972年3月15日改正】松江発着の1往復を鳥取発着に変更して改称⇒急行いなば号に。⇒2往復に。
【1978年10月2日改正】急行いでゆ(大阪~鳥取:以前の急行いなば)を吸収し2号・3号に。
・ 旧型客車で運行してきた夜行急行だいせん5・6号を20系客車に置き換え。
【1982年7月改正】だいせん1号と急行ながと号の併結を解消。
【1985年3月14日改正】だいせん5・6号(客車)に自由席を設置。区間短縮で大阪~出雲市に。
【1986年11月1日改正(福知山線&城崎電化)】昼行急行だいせんを特急北近畿に格上げ統合。
・ 夜行急行だいせん5・6号を14系14形寝台車+12系座席客車に変更。(番号はなくなる)
daisen15suhanefu【1991年3月16日改正】快速として運転する区間を倉吉~出雲市に拡大。
【1994年12月】14系15形寝台車の使用開始⇒B寝台が2段寝台となる。
【1999年10月2日改正】区間短縮で大阪~米子に。
・ キハ65形(エーデル車)を使用し、寝台車の連結を終了。
【2004年10月9日・10日イベント】14系15形と12系客車で臨時急行「懐かしのだいせん」号運転。
【2004年10月16日改正】廃止。

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