特急白鳥号(日本海縦貫)◆データファイル(2023-12) | 列車データ館
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特急白鳥号(日本海縦貫)◆データファイル(2023-12)

485系貫通型・特急白鳥号
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※TOP画像提供:Amanogawa_exp

特急白鳥号の簡単な解説

福井発着の特急白鳥

◆大阪~青森を、通称:日本海縦貫線で結んでいた特急白鳥号。本州~北海道の長距離旅行者が青函連絡船と共に利用する列車として特急はつかり号と共に長期にわたり支持された。昼行の電車特急としては日本一長距離を走る超ロングラン特急として長く君臨し続けていた。1000キロを越える走行距離はまさに圧巻。特急白鳥廃止後にトップの座に就いたのは特急いなほ号の青森発着列車だったが、それは白鳥号の半分にも満たない距離だったことからよくわかる。

一時期は急行しらゆきの特急格上げという形で福井~青森の設定を加え、2往復走っていた。

車両は485系で、ボンネット型はなかなか見られない時代が続いたが、1985年3月改正以降はごく普通に見られた。4灯式の1500番代も運用に就いていた。特急白鳥・上沼垂色ボンネット運行ルートは新潟駅・白新線経由だったので、同じ大阪~青森の寝台特急日本海と比較しても完全一致のルート設定ではなかった。

この新潟経由のルートゆえ、方向転換が必要で、煩わしさがあった。特に、通しで乗る場合には「このままでいいか」では済まされない距離があとに続くため、ほぼ確実にイスの向きを変えなければならなかった。
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4灯式の485系1500番代を最後尾に従えた編成。この当時でも希少性ゆえにやはり遭遇すると非常に嬉しかった。1982年1月1日、まだ地上駅だった頃の金沢駅にて撮影。特急白鳥号・金沢駅

◆特急白鳥号データファイル

【登場時:1961年10月1日】
・ ●運転区間:大阪~青森・上野  運転本数:1往復  使用車両:キハ82系
【参考*1962年】北陸トンネル開通記念切手の図案に特急白鳥を採用。
【1963年4月20日】従来、尾久客車区所属だった上野編成を向日町運転所の受け持ち変更・統一。
【1965年10月1日改正】上野発着を系統分離。上野~金沢特急はくたか号となる。
・ 特急白鳥号は大阪~青森(白新線経由)としてその後の形態を確立。
【1972年10月2日改正】白新線・羽越本線電化により電車化。青森運転所所属の485系電車を使用することに。
【1975年3月10日改正】湖西線経由とする。
【1978年10月2日改正】イラスト・トレインマークを採用。
【1982年11月15日改正】
・ 急行しらゆき号(金沢~青森)を特急格上げ・福井まで延長して特急白鳥1・4号とする。2往復に。
【1984年11月1日改正】大阪発着の2・3号の食堂車営業を休止。
【1985年3月14日改正】福井発着列車を特急北越号・特急いなほ号に系統分割。⇒1往復・向日町運転所所属に。
・   ボンネット型が登場し、イラスト・トレインマークを採用。
【1986年11月1日改正】上沼垂運転区に車両配置を変更。
【1987年~】座席などのグレードアップ、および塗色変更などを実施。
【1988年3月13日改正(青函トンネル開業)】新規設定の夜行急行はまなす号(青森~札幌)に連絡する設定に。
【1997年3月】京都総合運転所に車両配置を変更。
【1999年】車内販売営業が秋田~青森では廃止となる。
【2001年3月3日改正】列車の系統分離を実施することになり、廃止。
・ ⇒特急雷鳥特急北越特急いなほ となる。

◆特急白鳥号のお役立ちサイトご紹介

★【座席探訪

・・・列車内の様子を解説してくれているわかりやすい写真集。車両のタイプごとに詳細な解説と画像が含まれているサイト。おすすめです。 ●上沼垂485系

 

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