急行きたぐに号◆データファイル(2024-06) | 列車データ館
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急行きたぐに号◆データファイル(2024-06)

国鉄色583系急行きたぐに か行
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急行きたぐに号の簡単な解説

⇒ 急行きたぐに号のヘッドマーク事典はこちら583系急行きたぐに号HM

◆ 大阪~新潟を結ぶ夜行急行列車として2012年3月16日出発分まで運転されて寝台特急日本海と同時に臨時列車化された急行きたぐに号。

2013年1月の運転を最後に運転計画がなく、月末には廃止の発表となった。

1982年の上越新幹線開業までは大阪~青森間を結ぶ列車だったが、新潟以北を特急いなほ号に系統分離して大阪~新潟の列車となり、同時に10系中心の編成を終了し、14系客車を使用するようになった。

客車急行きたぐにEF58

客車急行きたぐにEF58 ※画像提供:Amanogawa_exp

さらに1985年、583系夜行急行立山号の廃止と時を同じくして急行きたぐに号を583系に変更。ボディーカラーの変更などはあったが、基本的にはその後四半世紀にわたり583系急行スタイルを貫き、寝台特急つるぎ号廃止後の同区間を長らく担ってきたが、ついに運転を終了してしまった。新潟県内区間においては通勤需要にこたえる存在ともなっていたため、廃止後は快速おはよう信越号(下り)がそのまま跡を継ぎ、上り列車は少々形を変えて存続した。kitaguni2

急行きたぐに号が電車化された後の運転形態は、幾らかの時間短縮はあったものの、【下り】大阪23時20分台発⇒新潟8時30分前後着、【上り】新潟22時台発⇒大阪7時前後着で一貫していた。急行きたぐに号サボ

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◆急行きたぐに号のデータファイル

【登場時:1968年10月1日(ヨンサントオ)改正】
・ ●運転区間:大阪~青森  運転本数:1往復  使用車両:旧型客車(寝台車は大阪~新潟)
【1972年11月6日事故】北陸トンネル火災事故
・ 下り急行きたぐに号で、食堂車を火元とする火災事故が発生。30名が死亡。
【1973年10月1日改正】普通座席車に12系客車混入。
【1978年10月2日改正】グリーン車の連結を終了。
【1982年11月15日改正】新潟~青森間を特急いなほ号に系統分割⇒大阪~新潟となる。14系化(座+寝)。
急行きたぐに国鉄色583系【1985年3月14日改正】583系を投入。(12両編成)
【1986年11月1日改正】10両編成に短縮。
【1988年3月14日改正】下り・新津~新潟間を快速列車として運転。
【1991年更新工事】第一次きたぐにカラー登場。
【1997年更新】第二次きたぐにカラー登場。
【2009年6月1日改正】座席車を全面禁煙化。
【2012年3月17日改正】臨時列車化。
【2013年1月7日】大阪行最終列車(結果的に)。
【 同年1月31日報道】完全廃止を発表。

※画像提供:Teru-t2様

◆急行きたぐに号の画像集

583系車両の画像は、提供:YOMPAQ様・kogane-turbo様(無断使用・転載を禁じます)初代きたぐにカラー583系
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左上は雪山をバックに走る急行きたぐに号。手前側に見える田んぼはまだ田植えには早く、水を張っただけの状態で、列車の姿と雪山を映し出す水鏡の様になっている。さて、急行きたぐに号は大阪と北陸地方の各都市を結ぶ足として貴重な存在だったが、とりわけ新潟県内の中規模都市にもこまめに停車するということや、目的地にダイレクトに着く便利さが好評で、旅行者たちだけでなく地元の方々の足としての側面からも重宝された。

1980年代前半までは電車でなく客車による編成で、まさに夜汽車の旅情たっぷりだった。大阪寄りの端には郵便車(オユ10形)が連結されていたので、トレインマークがあるとかないとかいう以前の問題だったが、それも一つの味わいだった。
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◆急行きたぐに号関係のお役立ちサイトご紹介

・ 【鉄道模型製作用参考写真集】・・・編成単位ではなく、1車両ごとのサイドビューをとらえた写真集。大きな画像データなので細部に至るまで見て確かめることができる、非常におすすめのサイト。 ●583系きたぐに

・ 【座席探訪】・・・列車内の様子を解説してくれているわかりやすい写真集。車両のタイプごとに詳細な解説と画像が含まれているサイト。おすすめです。 ●583系 きたぐに

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