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急行ちくま号◆データファイル(2024-02)

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急行ちくま号の簡単な解説

20系+12系時代急行ちくま◆ 大阪~長野を東海道本線・中央本線・篠ノ井線経由で結んでいた急行列車。1959年12月に準急ちくま号として登場した際には大阪発が夜行列車、長野発が昼行列車という凸凹な設定で、旧型客車による運転だった。

それから2年弱経過した1961年10月ダイヤ改正からはキハ57形気動車による急行に格上げされた。昼夜凸凹設定が解消されたのは1966年3月25日で、めでたく昼行1往復・夜行1往復となった。

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そんな気動車急行時代に転機が訪れたのが1978年10月(ゴーサントウ)改正。中央西線の電化から5年以上を経て165系電車20系寝台+12系客車を投入し、最も華やかな時期を迎えた。B寝台車3両を含む10両編成は当時の客車急行の中でもなかなかの迫力ある編成だった。しかし、1986年には夜行の1往復のみ残る状態になり、車両は14系寝台+12系客車を使用する形に改められた。さらに後には14系15形も使用された。

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定期列車としての最終形となったのは1997年10月。特急しなの号との共通運用化で383系を使用するようになったため、当然ながら寝台車両の連結は終了した。編成の長さも寝台3両を含む8両編成から6両に短縮されて寂しくなった。

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その後、2003年10月改正で廃止(臨時列車化)。臨時列車の運用に登場したのは381系だった。

この急行ちくま号を利用するのは松本・長野直通の人だけでなく、塩尻駅で下車して上諏訪や茅野・富士見方面への中央東線へと向かう利用者もいた。

臨時急行ちくまの381系時代

臨時急行ちくまの381系時代

筆者もその一人として利用していたが、分岐点となる塩尻駅に到着するのはおよそ午前4時。上諏訪・小淵沢方面への始発列車が出る時間まで長い待ち時間があるため、待合室の暖房をつけて迎えてくれていた当時の印象が深く残っている。

※画像提供:Teru-t2様・KOGANETURBO様ほか

急行ちくま号のデータファイル

【愛称登場:1959年12月13日】準急ちくま号運転開始
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【急行ちくま号登場:1961年10月1日改正】
●運転区間:大阪~長野(昼行:長野発、夜行:大阪発)
【1966年3月5日改正】夜行・昼行各1往復ずつへ。(⇒2往復)
【 同年7月~】臨時急行くろよん号との併結コンビ開始(松本駅で解結)。
【1968年10月1日改正】急行彩雲号を統合。3往復(臨時列車を含む)に。
【1971年4月改正】1往復を特急格上げ。⇒2往復に。
【1978年10月2日】定期夜行ちくまが客車化(20系寝台+12系座席)。臨時ちくまは167系に。

14系座席車の急行ちくま

14系座席車の急行ちくま

【1986年11月1日改正】20系寝台車を14系寝台車に置き換え。臨時ちくまを廃止。
【1994年12月3日改正】14系14型から14系15形への置き換えにより2段B寝台となる。
【1997年10月1日改正】383系電車を投入。寝台車連結を終了
【2003年10月1日改正】廃止。⇒臨時列車化。車両は381系電車を充当。
【2005年10月7日発】大阪発の列車が臨時急行ちくま号の最終運転と思われる。

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