急行さんべ号◆データファイル(2024-01) | 列車データ館
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急行さんべ号◆データファイル(2024-01)

急行さんべ・門司駅でのEF30
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急行さんべ号の簡単な解説

◆ 米子~九州を結ぶ急行列車として1968年10月から活躍し、1997年3月に鳥取~小倉(急行区間は米子~下関)の列車として使命を終えた、山陰本線西部の急行。愛称の由来となったのは島根県中央部にある三瓶山(さんべさん)。

実は、この三瓶という漢字表記の列車は1961年10月から存在した。しかしそちらは大阪~浜田・大社という区間設定で、急行出雲号から引き継いだスジで運転されたもの。そして、急行列車の愛称を整理・統合した1968年に急行だいせんに統合され、三瓶の愛称はひらがなに変更の上で山陰西部にコンバートされたという歴史がある。

この急行さんべ号も、急行なかうみ(米子~小倉)、急行やえがき(米子~熊本)、夜行急行しまね(米子~博多)という3つの列車を昼夜の区別なくまとめたものとしてスタートした。興味深いのは急行やえがきの流れをくむ1往復で、長門市~下関間で2つの列車に分かれてそれぞれ山陰本線経由 / 美祢線経由の2パターンになって再び合流する列車だったこと。離婚再婚列車などと揶揄されることもあったようだ。この列車は1985年3月に急行さんべが1往復になる直前まで見られた。

急行さんべ・門司駅でのEF30

急行さんべ・門司駅でのEF30

夜行の急行さんべに注目すると、北海道を除くとこの列車にしか使用されなかったオロハネ10形(2・3等合造寝台)がみられた。1978年には12系+20系寝台車という編成に変更されたが、1984年2月改正で廃止されて昼行のみとなった。

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急行さんべ号のデータファイル

★急行三瓶号として

【登場時:1961年10月1日】運転区間:大阪~浜田・大社 (福知山線経由) DF50牽引旧型客車

【1965年10月改正】キハ58系化。区間延長で大阪~石見益田・大社となる。

【1968年10月改正】急行だいせんに統合。漢字表記の三瓶号廃止。

★急行さんべ号として

【1968年10月改正】山陰本線西部の急行を統合。ひらがな表記のさんべ号としてリニューアル。3往復。

【1969年10月改正】一部美祢線経由となるさんべ2・1号の編成の一部が山口線経由小郡発着として運転。
珍車両オロハネ10形導入もこの改正。

【1975年3月改正】オロハネ10形の終了。

【1978年10月2日改正】夜行の急行さんべ号に12系+20系を投入。

【1980年10月1日改正】昼行の2往復が下関以西普通列車化。

【1984年2月1日改正】夜行急行さんべが廃止。⇒昼行2往復に。

【1985年3月改正】1往復減⇒米子~下関の1往復に。

【1997年3月改正】廃止。

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