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特急利尻号(急行利尻)の簡単な解説
◆特急(急行)利尻号。 札幌~稚内を結ぶ列車として長らく急行として、2000年3月からは特急に格上げされて2008年まで運転されていた。以前は特急がまったく走っていなかった宗谷本線において、寝台車を含んでいた夜行急行利尻号は最優等列車として君臨していた。
しかし、元々特急車両形式の14系から1991年に一般形式の延長にあたるキハ400・480に変更されたのは大きなグレードダウンの印象で、残念に感じた人は少なくなかったと思う。
その後キハ183系の特急へと格上げとなったが、やがて夜行列車の需要の減少から、列車そのものが臨時化、はなたび利尻号としてしばらく存続した後に廃止された。
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この1988年当時、名寄駅に停車した下り急行利尻号は結構長時間(26分間)停車した。上りの利尻号と交換するのもこの駅でのこと。撮影したのは8月15日、午前2時過ぎのことだが、結構多くの人たちが駅の改札口を出て自販機でジュースを購入したり、体操しに降りてきたりしていたのが印象的だった。
札幌での残業の帰りか何かだろうか、下車して家路に向かう人もいた。いずれにしても、のどかなのんびり汽車旅が当たり前だった、ちょっと昔の主役たちだ。 ちなみに、この編成が翌日の上り急行天北として運転され、583系顔負けの?昼夜を問わず走る列車だった。
北海道の夜行列車が機関車+客車でなくなったときにはショックだった。やはり夜汽車にとって「しっくりくるイメージ」は大切だと思う。
それでもその後特急格上げを経たものの、夜行列車自体がなくなっていった流れはもっと大きなショックだった。イメージを守れなくなったとしても、その存在だけでも残しておいてほしかったと、このときばかりは考えを変えたのを思い出す。
余談だが、キハ400系・480系時代、下り列車の最後尾の1両を旭川駅で切り離し、その1両が折り返して上り列車に増結していた。
時をさかのぼり、1982年10月11日の317レ稚内行き夜行急行利尻の姿。札幌駅で発車の時を待つその列車はまだ14系化される前であり、まさに昭和そのものの香りといった感じだった。
車両色もブルートレインのような明るめのブルーではなく、ネイビー系のブルー。もちろん白い帯をまとってもいない。乗降口ドア上の照明灯がまた「何とも言えない情緒豊かな雰囲気」を醸し出している。
◆利尻号のおすすめサイトご紹介
●【いーくんと幻の珍獣・第四章~2013年も鉄分多めで~】・・・この列車に何度も乗車したという「いーくん」様の思いの詰まった解説記事と写真集。おすすめです。 ●過去画像からがさごそと…稚内行き急行「利尻」
◆急行利尻・特急利尻号のデータファイル
【登場時】1958年10月1日 夜行準急利尻号運行開始。
【1966年3月5日改正】急行利尻号となる。
【1968年10月1日改正】旭川~稚内間の昼行急行礼文号を吸収。昼行1往復、夜行1往復となる。
【1970年10月1日改正】旭川発着の1往復を「礼文」に再び分離。
【1971年】C55の牽引からDD51牽引に変更。SL時代の終わり。
【1977年11月1日改正】A寝台の連結を廃止。
【1982年11月15日改正】14系客車投入。座席車のみの約半年を経て、翌年4月25日から寝台車も2両連結。
【1991年3月16日改正】気動車と客車の混結列車に変更。14系寝台客車を併結したキハ400形・キハ480形気動車。
【2000年3月11日改正】キハ183系気動車に変更して特急利尻に格上げとなった。
【2002年6月28日】寝台特急北斗星号の車両を使用した「北斗星利尻」を運行。札幌~南稚内。
【2006年3月18日改正】臨時列車化。
【 同年 6月1日】臨時特急はなたび利尻号として運行開始。
【2007年9月30日稚内発】臨時特急はなたび利尻号最終列車。