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急行礼文号の簡単な解説
◆旭川~稚内という、北海道北部の地方都市間急行として1966年に急行となり、約2年半のブランクを経ても2000年まで30年以上にわたって運転されていた急行列車。
急行天北号が初めて設定された時から長きにわたってその編成の一部を間合い使用する形で運転されていたのだが、急行天北号の主編成の使用ではなく、わずか2両の付属編成の方を使用しており、グリーン車を含んでいた天北号(1983年の資料では7両編成)に対し礼文号は自由席のみ2両ということで、運用上のコンビとは思えないほど非常に対照的な列車だった。
1985年からは急行天北とのコンビを解消して縛りがなくなったたため、ダイヤ設定もより一層実際的なものとなりキハ56系カーペット車まで投入された1年だった。翌1986年、キハ54系の新製投入で転換クロスシートの急行仕様の車両が12月から3両投入された。
なお、2017年3月改正から、同じ区間設定で特急サロベツが走っているが、誕生の経緯はずいぶん異なり、車両不足による区間短縮(特急ライラックと分担)という理由での登場だ。
*** 画像提供:急行つとむ2号様
◆急行礼文号のお役立ちサイトご紹介
【前面展望動画】・・・236分にわたる長大編です
・ ●前面展望 急行 礼文(旭川→稚内)- YouTube
【としの鉄なお部屋】・・・1986年と1995年の急行礼文号の画像を紹介してくださっています。 ●急行「礼文」
◆急行礼文号のデータファイル
【登場前:1961年10月1日】急行天北号の設定時に、準急礼文号も同時設定。
【登場時:1966年3月5日】準急礼文号が急行に格上げ。
・ ●運転区間:旭川~稚内(宗谷本線) 運転本数:1往復 使用車両:キハ56系
【1968年10月1日改正】急行利尻号に愛称統合。一旦愛称が消える。
【1970年10月1日改正】上記列車を急行礼文号として再分離。名称が復活。
【1985年3月14日改正】急行天北号を14系客車に置き換えたため。編成のコンビ解消。
【1986年12月7日改正】新型のキハ54系を投入。通常は2両編成、多客期は3両編成で運行された。
【2000年3月11日改正】札幌~旭川の区間を延長して特急スーパー宗谷号に吸収されたため、愛称消滅。
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