急行るもい号の簡単な解説
◆ 旭川~幌延を結ぶ列車として当初の設定は準急るもい号として誕生。2往復設定されたが準急として走ったのは旭川~留萌間で、そこから普通列車扱いで羽幌線を走った。一般型気動車のキハ22系で急行化された1966年3月以降も車両は変更されなかった。炭鉱路線の列車として活気があった急行るもい号も石炭産業の終焉、閉山とともに斜陽化の道をたどっていった。1984年2月に1往復になり、1986年11月改正で廃止された。
併結相手の変遷もかなり複雑で面白い。当初は急行かむい号または急行なよろ号とのいわゆる2階建て併結だったが、1968年10月からは急行かむい・急行ましけ・急行そらち、そして急行るもいという4階建て10両編成、さらには急行かむい・急行すずらん・急行そらち、そして急行るもいという13両編成の4階建てというすごい列車もあった。その大半が急行形のキハ56形やキハ27形である中、急行るもいはキハ22というちょっと格差を感じる編成だったことも注目せずにはいられない。途中、1往復に関しては単独運転の時代もあったが、常時多層建てが存在し、最終形となったのは当初の急行かむいとの2階建てだった。なお、1982年11月の改正ではついにキハ22形でない車両が1往復に投入されたが、それもやはり一般型のキハ40系だった。
快速るもい号
その後3年半のどのブランクを経て1990年3月10日改正から快速るもい号が、下り旭川~増毛、上り留萠~深川の設定で1往復運転開始。1994年12月3日改正で下り列車の設定がなくなり、1995年4月1日改正で廃止されるまで5年間の活躍を見せてくれた。快速るもい号は何といっても大きな角丸正方形のヘッドマークが印象的。
当初はキハ56形に両運転台化改造を施したキハ53形500番代が使用されたようだが、途中からはキハ40系で運転されていたと思われる。
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