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急行妙高号◆データファイル

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急行妙高のヘッドマークHM ま行

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急行妙高号の簡単な解説

◆ 上野~直江津を信越本線経由で結んでいた準急妙高号を1962年12月改正時に格上げして登場した急行妙高号。準急時代は客車列車で昼行・夜行各1往復が設定されてのんびりと走っていたが、昼行列車の気動車化(キハ57系)によるスピードアップが実現することに伴って急行となったものだ。なお、引き続き夜行は旧型客車を使用したが準急のまま「あさま」に改称し、A寝台1両、B寝台2両を含んだ編成であった。

その後、信越本線の電化が進んだことにより165系が(さらに2年後に169系も)投入され、同路線の急行愛称の整理が進むにしたがって急行妙高が大所帯になっていった。ピークは1969年10月~1972年10月の3年間。6往復を数えるまでに成長した(定期5・不定期1)。その後、特急白山に、さらに特急あさまに格上げされ、夜行の1往復だけが1982年11月以降も、その後10年以上にわたって歴史を刻んでいった。その際14系にグレードアップされたのもつかの間、1985年には169系に、1986年には189系へと次々と運用を変更していった。

余談ではあるが、碓氷峠を通過する電車急行と言えば169系で165系は協調運転ができないので通れないイメージがあるが、8両までなら通れたということや、電化された時点では169系は存在しなかったことなど、碓氷峠と電化の関係を調べてみるのも面白い。

急行妙高号のデータファイル

【登場時:1962年12月1日】運転区間:上野~直江津  (1往復)
・   使用車両:キハ57系(6両)

【1966年10月1日】165系電車化(8両)。2往復に。
【1968年10月1日】169系投入により12両編成が登場。愛称整理により4往復に。
・ うち1往復は客車編成の夜行で3両の寝台を含む。
【1969年10月】愛称整理により6往復に。(不定期1を含む)
【1982年11月15日】14系客車化、寝台車は1両に。昼行は廃止。
【1985年3月14日】169系電車化。
【1986年11月1日】189系電車化。
【1993年3月18日】廃止。

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