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急行みやぎの号◆データファイル(2024-02)

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急行みやぎの号の簡単な解説

◆ 上野~仙台を常磐線経由で結んでいた急行列車。定期列車としては全国で初の気動車急行として1959年9月22日改正でデビュー。仙台市東部の宮城野は萩の名所としてよく知られており、そこから採られた愛称である。

使用したキハ55系は急行に使用するには設備面で見劣りするため、車両の塗装をクリーム地に窓回りを赤11号で塗り潰したものに変更したのだが、そのカラーリングがキハ58系で採用され、国鉄気動車急行色と呼ばれるようになり全国的に活躍するようになった。その意味でパイオニア的存在の急行みやぎの号なのである。そして、スピード面でも当時の客車列車全盛の東北路においては画期的な5時間半前後の所要時間で結んだことでも注目された。

【2代目・急行みやぎの号へ】

順調に思えた矢先、1961年10月1日改正では運転区間が盛岡へ延長となり愛称変更、急行陸中となった。同時に東北本線経由の上野~仙台を結ぶ客車急行(電気機関車による牽引)に転身した。この列車は福島以南で上野~秋田の急行鳥海と併結運転で、いわば付属編成の急行という位置づけになった。というのも、食堂車が「鳥海」側に連結されていたことから受ける印象だ。

約1年の陰の時期の後、1962年10月には451系電車化。そばコーナーが設けられたビュフェや空気バネ台車採用による乗り心地の良さで再び脚光を浴びた。1964年3月20日改正で2往復に。こうしてまた順風満帆に思えたところで再び大きな転機が訪れる。

東北本線が盛岡まで電化したことに伴って1965年10月改正で上野~盛岡を結ぶ電車急行いわて号に生まれ変わり、同時に上野~仙台の急行の愛称を一本化して急行まつしま号とすることになり、急行みやぎの号の愛称は終わりを迎えることになった。

 

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