⇒ 特急みどり号のヘッドマーク事典はこちら
特急みどり号の簡単な解説
◆ このページでは現在JR九州で運転されている特急みどり号、およびその直系の列車ではなく、国鉄時代に山陽方面と九州とを結んでいた、1975年以前の特急みどり号を取り上げる。
特急みどり号のデビューは遅れた・・・
「太陽と緑の国」九州への特急として特急かもめ号に続いて登場した特急みどり号の運転区間は大阪~博多。予定によると1961年10月1日改正でさっそうとデビューするはずだったが、キハ80系気動車の初期故障に伴う運用の関係でデビューが遅れ、同年の12月15日にようやく運転開始にこぎつけたというエピソードがある。
ダイヤ設定が、東京~大阪間の「第1つばめ(下り)」、「第2こだま(上り)」との連絡を意図したものであり、便利な乗り継ぎが可能だった。とはいえ、「通し特急券」の発売はしていなかった。
特急みどり号の車両と運転区間の変遷
キハ80系
登場時の車両はキハ80系。先頭車両は当然ながらキハ82形。登場から丸3年間は6両編成で大阪と博多を結んだ。1964年からはスジを特急はと号に譲り、まったく別の時間帯を走る列車として2方向に設定された。1~7号車は熊本へ(キシあり)、8~13号車は大分へという13両の見事な編成だった。いずれもグリーン車1両を含む。
1965年10月からは電化された熊本から撤退して気動車の特性を活かした経路に変更。筑豊本線経由、鳥栖・肥前山口を経て佐世保に向かう列車となった。「みどり」の愛称と佐世保の縁はここから始まったと言える。ちなみに、同じ時に寝台特急さくら号も佐世保発着が設定された。
581系
大きな変化は1967年10月に訪れた。月光型と呼ばれる581系(12両)が新製され、昼夜兼用の車両であるため、寝台特急月光号と対になる昼行列車が設定される必要があったのだが、この特急みどりに白羽の矢が立ったのだ。その時点で長崎本線・佐世保線はいずれも電化完成しておらず、特急みどりの付属編成が走っていたほうの日豊本線・大分に向かう列車として設定されることになった。(新大阪~大分)。なお、佐世保方面へは特急いそかぜ号の付属編成がカバーすることになった。
485系
581系を初採用した列車として注目されたはずが、なんと1年後の1968年10月1日改正では485系11両編成に変更された。次の転機は1973年3月1日。前年3月の山陽新幹線・岡山開業後の様子を見つつ、岡山~大分間にもう1往復の特急みどりが設定された。この時、新大阪発の下りは大阪発に変更された。その後1974年4月の日豊本線・南宮崎電化による宮崎までの区間延長を経て1975年3月の山陽新幹線・博多開業前に廃止となった。
***********
この後、1年数カ月のブランクを経て、佐世保線の特急みどりが再登場し現在に至る。
特急みどりのひとことメモ
宮崎まで運転区間が延長された後の1年間は2往復(4列車)の運転区間がすべて異なるという珍現象が起きていた。
●下り: 1号=大阪~大分 2号=岡山~宮崎
●上り: 1号=大分~岡山 2号=宮崎~新大阪