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急行アルプス号の簡単な解説
◆ 新宿~信濃大町(下り)・長野(上り)を結んで2002年12月1日ダイヤ改正前まで夜行列車として活躍した急行アルプス号。末期は特急あずさ号と共通の183系を使用してかなり快適な急行列車ではあったが、長野新幹線の開通と夜行列車離れの流れにのまれて消えていった。
特筆すべき点は、最後までみどり湖経由の短絡線を使わず辰野経由で運転されたこと。さすがに下り列車の場合辰野到着は4時より前なので有効時間帯とは言い難いものの、1時間ほど待てば飯田線の始発列車に乗ることができた。
歴史的観点では「中央東線最初の愛称付き列車」であることも注目したい。前身の夜行列車(無名)は戦後わずか3年の1948年7月1日に登場し、さらに3年後の1951年4月15日には準急アルプスと命名。まさに中央東線のエースとして君臨した。二等・三等寝台を含む充実した客車編成だったが、スピードアップが求められたためキハ55系を投入してこのタイミングで急行格上げとなり、夜行1往復に加えて昼行3往復も設定された。1961年にはキハ58系を投入、1965年には165系電車投入とパワーアップし、最大11往復にまで勢力拡大したが、1966年12月にデビューした特急あずさに徐々に奪われていき、最後は夜行だけを運転する当初の姿に戻って終焉を迎えた。
イレギュラーな客車急行アルプス
急行アルプスの臨時列車はかなり高い頻度で設定され、本数も多く運転されていた。もっとも、その大半は電車によるものだったのだが、少数派ながら客車による臨時急行アルプスも存在した。旧型客車での下りのみ運転時代が長かったが、ゴーサントー以降下りは夜行で上りは昼行の1往復を12系客車で設定し、1982年の秋(または年末)くらいからは14系も使用され、その時期の配車の都合により12系も交えつつ運用された。1992年8月13日発の下り列車が最後の設定だった。
特急アルプスに格上げ復活!
2024年夏の臨時列車がJR東日本から発表されてファンが色めき立った。新宿23:58発⇒白馬6:22着で正真証明の夜行列車として計画されていたからだ。運行日はすべて金曜日で週末を活用した登山客などをターゲットとして7月12日、8月9日、9月13日、20日に予定された。E257系電車(9両編成)を使用し、全車指定席となる。
なお、LEDヘッドマーク表示は「特急」となっており、「アルプス」の表示は今回はないようだ。
急行アルプス号のデータファイル
【登場時:1951年4月15日】407・408列車に命名
運転区間: 新宿~長野 (1往復・夜行)
・ 使用車両:(両)
【1960年4月25日】昼行列車に変更。新宿~松本(2往復) キハ55型
※従来の夜行列車は急行穂高に改称。
【1964年8月23日】上諏訪電化。
【1965年5月20日】松本電化。
【 同年7月1日】上り1本・下り2本165系電車化。
【 同年10月1日】急行の愛称名整理。昼行電車急行は「アルプス(7往復)」に統一。
※ 夜行急行は「穂高(1往復)」。
【1966年12月12日】特急あずさ誕生。急行アルプス号1往復が特急に格上げ
【1968年10月1日】愛称整理。電車9往復、気動車2往復の11往復に発展。
【1975年3月10日】気動車の2往復が電車化
〈省略〉
【1986年11月1日】183系化され、定期は夜行1往復のみに。
【1992年8月13日】14系客車の臨時急行アルプスがラストラン。
【1997年10月13日】下りは183系で新宿⇒信濃大町、上りは189系で長野⇒新宿に。
【2001年12月1日】下り・新宿⇒信濃大町の1本のみに。
【2002年12月1日】廃止。
おもに新宿〜塩尻〜松本間を結び、日本でも有数の山岳地帯を走るため、首都圏のクライマーやハイカー御用達の列車として名を馳せたのが「アルプス」だ。電車化後は165系を使用した電車急行の代表格となったが、相次ぐ特急列車増発のため、惜しまれながも2002年に姿を消した
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