急行鷲羽号◆データファイル(2025-7) | 列車データ館
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急行鷲羽号◆データファイル(2025-7)

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急行鷲羽号の簡単な解説

◆ 京都・新大阪・大阪~宇野を結ぶ四国連絡用の急行として1966年3月に同名の準急から格上げされた急行鷲羽号。153系電車で下り7本・上り8本(うち1往復夜行)設定されていた。1968年改正時には定期9往復、臨時2往復の11往復にまで拡大し、1969年10月改正では1往復が赤穂線経由となるなど、バリエーションも広がったが、1972年3月改正で山陽新幹線が岡山開業となったことで夜行1往復と臨時列車だけを残して他は廃止。一気に衰退した。この臨時列車1往復だが、475系を使用したことが注目点。1980年10月1日の改正で完全に廃止された。

編成は、常時グリーン車を1両含んでいたが、1往復に関してはグリーン車2両。サハシ2両という豪華な時期もあったようだ。

急行鷲羽号と並行していた列車たち

1961年10月に宇野線初の特急として東京発着の特急富士、大阪発着の特急うずしおが設定された。これら両列車は151系での共通運用となっていた。それまでは夜行列車のみの設定で、東京発着の急行瀬戸号が長距離需要を担っていた。

1964年10月に東海道新幹線が開通すると、特急富士は廃止されてその区間短縮版ともいえる特急ゆうなぎが新大阪~宇野間に設定された。

先代の準急鷲羽

1958年、京都〜宇野で愛称のない客車準急列車が設定されたが、1959年にひらがな書きの「わしう」と命名された。1960年に名称の表記が漢字の「鷲羽」となり、このタイミングがちょうど山陽本線倉敷電化と宇野線全線電化完成と重なったため153系電車に置き換えられた。

1961年11月には3往復増で4往復に増強。

1965年には宇野線列車の増発に伴い下り7本・上り8本(うち夜行1往復)が設定された。

 

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