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寝台特急瀬戸号・サンライズ瀬戸の簡単な解説
◆寝台特急瀬戸号は、東京~宇野を結ぶブルートレインとして1988年まで、その後瀬戸大橋開業によって東京~高松を結ぶ寝台特急となって1998年まで24系25形客車で運転されていた。
しかし、安定した需要がある同列車は廃止されたのではなく285系特急形電車寝台を使用したサンライズ瀬戸に引き継がれた。住宅メーカー・ミサワホームとのコラボで設計された車内はそれまでの車両とは一線を画した温かみのある車内空間となっている。
16年目となる現在もサンライズ瀬戸としての運転は継続し、その間ずっと寝台特急サンライズ出雲号とのコンビで併結運転を行なっている。宇高航路が存在した時代から現在まで、東京方面から四国への足として重宝され、特急しおかぜ号、特急南風号などとのリレー利用者が国鉄時代には多かったが、現在では四国に乗り入れているため、乗り継ぐ列車の選択肢も増えている。
画像提供:堤昭仁様・Teru-t2様(無断使用厳禁)
◆寝台特急瀬戸・サンライズ瀬戸のデータファイル
【登場時:1972年3月15日】同名の急行からの格上げ
・ ●運転区間:東京~宇野 運転本数:1往復 使用車両:20系客車15両(品川区)
【1973年10月頃】食堂車の営業を休止。
【1975年3月】車両の受持区を、品川客車区から下関運転所(電・1~7号車)・広島運転所(8~13号車)に変更(下関発着あさかぜと共通に)。
【1977年9月26日(下り)】24系25形を投入(上りは27日から)。B寝台が2段式になる一方で、A寝台の連結は終了しモノクラス編成に。
【1978年7月28日~】東京~宇野間の牽引機をEF65PF形に変更。
【1987年4月1日改正】JR西日本所属に。
【1988年4月10日(瀬戸大橋開通)】運転区間が東京~高松となる。岡山~高松で「ひるね」扱いを開始。
【1989年12月12日】2・3号にラウンジカー(オハ25-300)またはそれにパンタグラフ集電による電源を追加したタイプの車両(スハ25-300)を連結。いずれもシャワー室付き。
【1990年3月10日改正】シングルデラックス(A寝台1人用個室)を連結開始。
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【1998年7月10日改正】285系電車化。愛称も「サンライズ瀬戸」となり運転開始。東京~岡山はサンライズ出雲と併結運転。
【1999年7月】多客期に高松~松山で延長運転開始。
【2006年3月18日改正】上郡駅を停車駅に追加。(智頭急行線へのアクセス向上のため)
【2009年夏?】松山延長運転最終シーズン。
【2010年3月13日改正】上郡駅停車を取りやめ。
【2014年秋】下り列車のみ高松~琴平間の延長運転を東京発9月5日~11月29日の金・土曜と休前日の計31日間実施。以後、繁忙期に時折同様の延長運転が見られる。
【2019年7月1日乗車分~】JR東日本のえきねっとJR券申込サービスにてノビノビ座席のみ取扱いを開始。
◆寝台特急瀬戸号と牽引機関車EF65PF
東京発着のブルートレインの牽引機関車が次々とEF65PF(1000番代)からEF66に変更していく中、この瀬戸号は寝台特急出雲号とともになかなか変更されずにEF65PFが牽引し続けたことで知られている。実際、客車列車から電車寝台の285系に変わる直前までそのままだった。
その理由がいくつか考えられるが、うわさも含めて以下、ご紹介したい。
●最大の要因は消費電力と変電所容量の関係。建設に当たって過剰な設備にはしなかったといわれている。
▲ 瀬戸大橋の荷重制限が理由と言う一部のうわさがあったりするようだが、現在(ほぼ同等の)EF210が入線していることからも、運用が見送られたのは軸重制限が理由ではないと言っていいだろう。
● そもそもEF66が旅客列車に投入されるようになった目的(長編成でのセノハチ越えその他)が寝台特急瀬戸号に該当しなかった(=必要がなかった)ことも理由のひとつと思われる。
そのようなわけで、今でも客車時代の瀬戸号と言えばEF65PFが先頭に立つ姿がすぐによみがえってくる。
◆寝台特急瀬戸・サンライズ瀬戸号のお役立ちサイトご紹介
・ 【鉄道模型製作用参考写真集】・・・編成単位ではなく、1車両ごとのサイドビューをとらえた写真集。大きな画像データなので細部に至るまで見て確かめることができる、非常におすすめのサイト。 ●寝台特急瀬戸 EF65牽引
・ 【座席探訪】・・・列車内の様子を解説してくれているわかりやすい写真集。車両のタイプごとに詳細な解説と画像が含まれているサイト。おすすめです。 ●285系サンライズ瀬戸