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特急かもめ号(山陽特急)の簡単な解説
1953年~1975年にかけて京都と九州を結ぶ昼行の特急として活躍した列車。博多・長崎・宮崎・西鹿児島・佐世保など、行先がコロコロと変更になりながらも、山陽新幹線の博多開業までの山陽路の重要な役割を担った。当初はC59形蒸気機関車牽引の旧型客車編成だったが、C62、EF58と牽引機の変遷を経てキハ82系気動車化された。
★愛称そのものは1976年以降現在に至るまで長崎本線などを走る特急に使用されている。
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◆特急かもめ号データファイル
【1953年3月15日改正】京都~博多に特急かもめ号新設。二等・三等・食堂車の編成。
【1957年6月5日】3等車をスハ44系客車から10系客車に車両変更。
【1958年~】牽引機として電気機関車EF58が時折使用された。
【1961年10月1日改正】キハ82系気動車に変更。京都~長崎・宮崎に区間変更。両編成に食堂車。
【1965年10月1日改正】宮崎発着編成を西鹿児島発着とし、日豊本線から鹿児島本線経由に変更。
・ 食堂車が鹿児島編成のみに。
【1968年10月1日改正】西鹿児島発着編成を佐世保発着に変更。筑豊本線経由に。
・ また、長崎発着編成に食堂車が復活。
・ 西鹿児島発着列車は別途新設。大阪~西鹿児島の特急なは。
【1975年3月10日改正(山陽新幹線博多開業)】廃止。
九州特急としての復活までには1年数か月のブランク。