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寝台特急明星号の簡単な解説
◆ 新大阪~熊本などを結び、ブルートレインまたは583系(・581系)電車寝台特急として、1986年に廃止されるまで関西~九州の寝台特急の代表格だった寝台特急明星号。臨時列車としては1990年まで存続した。
この区間の寝台特急として登場したのは1968年10月。急行ひのくに号からの特急格上げによる登場だった。名古屋~博多の寝台特急金星も同じダイヤ改正での登場である。前年に寝台特急月光と昼行の特急みどりとして登場した581系電車が投入された。わずか1年の差で「月光型」と呼ばれた581系車両も、設定順序によっては「明星型」または「金星型」と呼ばれてもおかしくない僅差だったともいえる。考えてみると、実際の明星は金星を指す言葉だ。
ちなみに、同時に登場した関西~日豊本線を結ぶ寝台特急彗星も581系を使用した特急として知られるが、登場時点では大分県の幸崎駅以南が非電化であったため、同時581系デビューしたわけではなく20系客車でのスタートとなっている。
定期列車としての末期には寝台特急あかつきとの併結運転を行なって延命が図られたが、同じ路線を走る寝台特急なは号に道を譲り姿を消した。最大7往復を誇った時代には客車だけでなく583系電車寝台も使用されて大所帯だったが終焉に向かうスピードは非常に早かった。
電車、客車と、両タイプの寝台車両を使用して数多く運転されていた明星号だが、1982年11月改正時には西鹿児島発着の1往復のみとなり、24系25形客車での運転となっていた。その時点でヘッドマークが設定されていなかったため、単独マークは本州で使用されず、残念だった。1982年~1984年の間は、客車=明星、電車=なは という形で同じ区間に二つの愛称の列車が走っていた。
*** 画像提供:teru-t2様・K-office様・Amanogawa_exp様
◆寝台特急明星号データファイル
【登場時:1968年10月1日改正】夜行急行ひのくに号の特急格上げ・名称変更による。
●運転区間:新大阪~熊本 運転本数:1往復 使用車両:581・583系
【1970年3月15日改正】食堂車営業休止。
【 同年10月1日改正】1往復増⇒2往復。
【1972年3月15日(山陽新幹線岡山開業)】寝台特急月光のうち「博多発着」を吸収統合。
・ 1往復が新大阪発着⇒京都発着に変更。
【1975年3月10日改正(山陽新幹線博多開業)】寝台特急あかつき、同きりしま号のうち、西鹿児島・熊本発着を吸収統合。電車寝台3往復に加え、ブルートレインが4往復登場し、計7往復(うち2往復は寝台特急あかつき号との併結)に。
・ 補足:1往復が黒崎~原田 間で筑豊本線経由に。
【1978年10月2日改正】あかつき号と併結の2列車および14系座席客車の季節列車が廃止。
・ まとめ⇒博多(1=583系)、熊本(1=24系25形)、西鹿児島(2=583系・24系25形)、計4往復に。
【1980年10月1日改正】1往復減⇒3往復に(うち1往復を季節化)。
・ まとめ⇒博多(1=583系)、西鹿児島(2=24系25形)
【1982年11月15日改正】博多・西鹿児島発着の各1往復を廃止。⇒1往復(客車寝台)に。これにより電車列車=「なは」、客車列車=「明星」となる。
【1984年2月1日改正】寝台特急あかつき号との併結運行開始。寝台特急なは号を24系客車化。
【1986年11月1日改正】臨時列車(20系客車)に格下げ。
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【1990年3月10日改正】20系客車の経年化によるサービス低下を理由に急行格下げ。
・ 愛称を変更して臨時急行霧島として運行開始。寝台特急明星号は完全に廃止。