急行かいけ号の簡単な解説
◆ 大阪~米子を姫新線・因美線経由で結んでいた急行列車。
1965年10月1日改正で準急として登場し、翌春1966年3月5日に多くの準急が急行に格上げされたと同じその時に急行かいけ号となった。この皆生という愛称は米子市にある皆生温泉から採られたものである。長い距離を遅い表定速度で走る列車ではあったが、この当時は中国自動車道もまだ開通しておらず、朝出発して夕方の早い時間に着くようなのんびりとした時刻設定でも多くの利用者がいた。ちなみに、同じ因美線経由で上井発着の急行みささ号とかなりの区間が重複していた。
しかし1968年10月改正でこの列車名は急行伯耆に統合されて急行みささ号とともに姿を消した。
初代皆生号もあった
1962年10月1日から1965年10月1日改正までの間、三原~出雲市を結ぶ伯備線経由の準急として設定されていた時期もあった。この時は漢字表記の準急皆生号であった。しかしこの列車は準急たまつくり号へと変更。この愛称変更と同時に2代目の、ひらがな表記の準急かいけ号を別区間に新設することとなった。
急行かいけ号のデータファイル
【登場時:初代1962年10月1日改正】 準急 運転区間:三原~出雲市(伯備線経由)
【1965日10月1日改正】廃止→準急たまつくり号となる。
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【2代目登場時:1965年10月1日改正】 準急 運転区間:大阪~米子(姫新線因美線経由) 使用車両キハ58系
【1966年3月5日改正】急行格上げ
【1968年10月1日改正】廃止→急行伯耆 となる。
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