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寝台特急ゆうづる号の簡単な解説
◆上野~青森を、常磐線経由で結ぶ寝台特急列車として1993年まで定期で、その後も1994年まで臨時列車として運転されていた寝台特急ゆうづる号。仙台以南も東北本線を走っていた寝台特急はくつる号が1年先にデビューしていたが、一時期はゆうづる号が合計7往復という大勢力を誇って「夜のメインルート」となっていた。
これら2つの列車が「鶴」を名前に含む寝台特急たちはブルートレインという姿とともに電車寝台である583系も使用して運転されて、いずれも北海道連絡列車としての使命に主眼を置く2大スターとして長く君臨して一時代を築いていた。愛称は、北海道の象徴のひとつである丹頂鶴のイメージを含めたものだという。
ゆうづる号のオールドファンにとっては、C62が牽引した最後の列車として常磐線での「SL+20系ブルートレイン」(3年間)が見られたことが印象深いという人も少なくない。
また、交直流機関車としてEF81の陰に隠れた存在になったEF80が牽引していた列車としてもコアなファンにとって忘れられない列車であろう。
(画像提供:Teru-t2様)
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◆寝台特急ゆうづる号と583系
交直流混在路線である東北本線にあって、その性能をいかんなく発揮していた583系電車。上野駅でその姿を見ることができた列車は多く、夜行列車のゆうづる号・はくつる号、そして昼行列車の特急はつかり号・特急みちのく号・特急ひばり号などである。
一昔前の国鉄時代、上野駅の朝は、到着した寝台特急とこれから出発しようとしているL特急の並びが次々と見られた(写真は特急あさま号)。特急マークが誇らしげな当時のスターと呼べる車両たちであり、わずかながら今もその面影を見ることができる。
◆寝台特急ゆうづる号のデータファイル
【登場時:1965年10月1日】
(同ルートの急行北斗の格上げ・愛称変更により。)
・ ●運転区間:上野~常磐線経由~青森 運転本数:1往復 使用車両:20系客車・EF80・C62・ED75・DD51重連
【1968年6月20日改正】A寝台1両削減、2両連結していた座席車をB寝台車に変更⇒全車寝台化。
【 同年10月1日改正(東北本線全線電化)】583系を投入。しかし、急行十和田号をゆうづるに格上げする形で20系運用の寝台特急ゆうづる号存続。⇒合計2往復。牽引機はEF80・ED75-1000番代(水戸で交代)
【1969年10月1日改正】20系客車で1往復増発⇒3往復に。
【1970年8月】20系の1往復が運休扱いとなる。
【1971年10月改正】急行十和田号1往復格上げ⇒ゆうづる号が583系で1往復増発⇒3往復に。
【 同年12月から】年末年始限定で臨時寝台特急ゆうづる52号が14系客車を使用。
【1972年3月15日改正】583系電車で1往復増発⇒4往復。
【 同年10月】20系客車で1往復増発⇒5往復に。
【1973年12月~74年春ごろ】食堂車を順次営業停止。
【1975年3月10日改正】20系客車で2往復増発。まとめ:電車3往復・客車4往復=計7往復。
【1976年10月改正】20系客車4往復に24系24形客車を置き換え投入。
【1978年10月2日改正】14系客車を一部投入。
【1980年10月1日改正】583系の1往復と14系客車の1往復を季節列車に格下げ。定期の客車は2往復が24系25形客車、1往復が24系24形客車(A寝台車連結取りやめ)となった。
【1982年6月23日改正】季節列車2往復を廃止。定期は5往復のまま運行。24系24形客車にA寝台車が復活。
【1982年11月15日改正】583系3往復(うち1往復は不定期)。客車2往復に。
【1985年3月14日改正(東北新幹線上野開業)】2往復削減⇒3往復に。583系1往復。24系客車2往復。
【1986年11月1日改正】583系を基本9両とし、多客期に3両増結で12両編成となる変更。24系の1往復を季節列車に格下げ。
【1987年3月23日改正】 24系に「ツインデラックス(A寝台2人個室)」の連結を開始。=オロネ25形500番台
【1988年3月13日改正(青函トンネル開業:寝台特急北斗星登場)】24系ゆうづる号を廃止。⇒2往復(うち1往復は不定期)に。
【1990年10月1日改正】1号車に「レディースカー(女性専用車両)」導入。
【1993年12月1日改正】臨時列車に格下げ。
【1994年12月3日改正】廃止。(はくつるに一元化)