1983年8月8日。
ついに僕たちの中1鉄道旅行出発の日!
憧れのブルートレインに乗る、寝台特急出雲2号の旅が
もう手の届くところまで来ている。
旅行荷物、計画表、そして大切な大切な切符を手に、京阪電車の樟葉駅に向かった。
急行電車に乗り、いつものように伏見稲荷で乗り換えて、普通電車で東福寺へ。
そして、国鉄奈良線経由で京都駅にやってきた。
ここまでは僕たちの庭のようなものだ。
21時を回った京都駅。出雲2号の時間まではまだもう少しある。
この時間帯の京都駅に来るのは初めてだ。
まだまだ会社帰りの人たちの往来が激しい中、
大きな荷物を持つ人たちで賑わう、かなり異様な雰囲気のホームがあった。
山陰本線ホームだ。
その昔、日本一長いホームは何駅にあるでしょう?
なんて鉄道ものしりクイズがあったが、その一端がこの山陰ホーム。
そこに、出発を待つ鈍行の夜行列車山陰号が留まっていたのだ。
旧型客車で構成された編成は文字通りの「汽車旅」の雰囲気。
サボにもきちんと「山陰」と「san-in」の文字が入っている。
「こんな列車の旅もいいかも・・・」そうつぶやいてそこを後にした。
その列車がその後まもなく廃止になるなんて思いもしないで・・・。
そして出雲2号が来る1番ホームに僕たち3人は向かった。
時刻はすでに22時目前だ。
大阪行き最終の特急雷鳥22号が出た後は会社帰りの人も減り、
ぽつぽつと普通・快速が来ては去るのを見送っていた。
しかし、ふと1番線ホームの端に目をやると闇の中にEF65PFが、
出雲のヘッドマークをつけてひっそりと留まって出番を待っているのが見えた。
興奮のためすっかり忘れていたが、寝台特急出雲は
当時非電化だった山陰本線からDD51型ディーゼル機関車に牽かれてやってくるため
ここ京都駅でが役目を終えてこのEF65PF電気機関車にバトンを渡し、交代するのだ。
つまり、切り離しと連結の作業をしっかり見ることができるのだ。
そう思った瞬間、僕たちのその後のプランが非常に多忙なものになってしまった。
●機関車交換作業を見ること、
●荷物をかかえたまま自分の乗る車両まで走り、
●自分たちの座席を探すこと。
これらを比較的短時間で行わないといけない。
そんな事を思い巡らすうちに時間が近づいてきた。
遠くに二つの光が見える。だんだんゆっくり近づいてくる。
車体をくねらせながら右寄り右寄りに線路のポイントを渡ってくる。