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【1983年8月】初めての東京旅行~実行編~

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国鉄東京駅。この名の場所に来るのはこれが最後。
さすがに東京駅はこんな遅い時間も旅行客でにぎやかだ。

ホームの発車案内板には、急行銀河と、「大垣夜行」が表示されている。
大垣夜行といえば今の「ムーンライトながら」のルーツ。

さて、ついに急行銀河の姿が見えた。
20系フル編成の濃紺の車体が深い夜の闇によくマッチしている。
先日見た、九州夜行特急と同じような行程で準備が進む。

その間に僕たちは最後の記念写真を撮った。

準備が整い、ホームのベルが鳴り響いた。
ベルの音が止まると同時にゆっくり動き出した寝台急行銀河。

照明を半分落としてひっそりした新幹線ホームを横目に見ながら
東京駅に別れを告げながら徐々に加速していった。

今回最後の鉄道旅行の始まりだ。
日中はあんなに華やいで見えた品川客車区や東京機関区も
ブルートレインが次々出発した今ガランとして静まり返っている。

20系の3段式寝台車は古めかしいかと思ったが、そうでもなかった。
僕は上段ベッドに、はせやん は中段ベッドだった。

向かいの上段と中断には米原まで行くという大学生のお姉さんが二人いて、
飴ちゃんを二つくれた。

はせやん は出雲2号に乗った時と同様、すぐに寝た。
旅行最後の夜なのにもったいない・・・

僕は出雲2号の時と同様、通路で外を眺めてしばらくの時を過ごした。
やがて横浜駅を通過「あぁ本当に帰っちゃうんだな」としみじみ感じ、
この寝台車で旅行の最終章にいることがかなり寂しかった。

そしてついに、ぼくも寝ることにした。

翌朝起きれたら米原で向かいのお姉さん達を見送ろうと思っていたが
気が付いた時にはすでに米原を発車して少し経過したところ。
左手に近江鉄道がチラッと見えた。がうとうと・・・。

目覚めると列車は草津を走っているところだった。
考えてみれば結構残り時間が少なくて焦った。

大津を過ぎ、京都に入る辺りはいつものトンネル。
トンネルを抜けると・・・・そこは雪国だった・・・?
いやいや、僕たちの庭、京都駅だった。

ここにきて痛切に大沢達也式ポリシーがすごく理解できた。

「あぁ、もう少しでいいから余韻を楽しみたい!!」
後ろ髪を引かれるような気持ちで列車を降りた僕たちの、
名残惜しむ気持ちを知ってか知らずか、
列車は大阪に向けて走り出してしまった。

さようなら急行銀河!
さようなら初めての夜行列車の旅!

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