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【1987年8月】山陰の旅、そして様変わりした急行だいせん

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僕は、爽やかな風吹く境線のおさかな列車を降りて、
到着した米子駅で真っ先に「みどりの窓口」を探した。

まずはこの当日の急行だいせんの指定券を、変更しないといけないからだ。
というのも、先日の「島前旅行」が延期になった“あの”寝坊のため、
予定が一日ずれてしまい、明日向かうことになっている大社線をあきらめるか、
あるいは指定券を一日ずらして明日の指定券に変更するかしかなかったからだ。

と言うわけで、まず窓口で駅員さんに空席状況を尋ねてみた。
「この切符を変更したいんですけど、明日の急行だいせん号に座席ありますか?」
すると、まったく問題なく、しかも窓側の席を取ることが出来た。

(よく見ると、まだ国鉄の図柄の用紙が使われている)

こうして気をよくして、胸をなでおろしつつ今夜の宿泊地松江に向かった。
ちなみにそこも、隠岐の親友の紹介で一泊お世話になるお宅だ。

というわけで、米子から松江までの短い鉄道旅行が始まる。
米子駅を出発したディーゼル車は単行ではなく、ちゃんとした?列車。
車窓の景色を眺めながら、爽やかな快晴の山陰の空気を吸った。

やがて鳥取県からお隣の島根県に入ると安来駅に到着する。
こじんまりした田舎の駅で、安来節は全国的に有名だ。

しばらく列車はのんびりと運転し、国道9号線と平行し松江市に入る。
やがて山陰本線は高架区間に入り、いくつか線路のポイントに揺られ、
きれいな高架駅舎の松江駅に着いた。

「そうそう、ここだけ山陰本線では“ちょっと別世界”のような駅だった」
と、一年ぶりに訪れた松江駅の風景に納得した。

松江駅のホームに降り立って、のどが渇いたので自販機に近づいた。
しかしその自販機には6本すべて同じ品目、「二十世紀梨ドリンク」と書かれ、
JRのオリジナルブランドのジュースのようだった。

「めっちゃおもしろいぞ、松江駅!」 そうつぶやきはしたものの、
炭酸ジュースを飲みたかった僕は階段を降りて改札を出てコーラを買って飲んだ。

さて、お世話になる藤田さんの家に行こうかな。
そう言って輪行袋をおろし、自転車を組み立て始めた。

藤田さんの家までのんびり自転車で地図を見ながらむかった。
とてもわかりやすい場所だったので迷うことなく到着できた。
初めてお会いする藤田さんご夫妻はとても優しく温かく迎えてくれた。

翌朝、おいしい朝食と果物たっぷりの デザートをいただいいて満腹。
これから自転車で走るには、ちょっと食べすぎの感じで出発の準備を始めた。
準備・・・とは、大社線に乗って大社駅そして日御碕へ ミニ旅行に行く準備だ。

自転車に乗ってまずは松江駅に向かった。
自転車で松江駅に到着した僕は、急いで自転車を分解し、輪行袋に詰め込んだ。
肩にその大きな荷物を掛けて窓口に行き、大社行きの切符を購入した。

9時47分、出雲市行きの221Dディーゼル列車は走り出した。
この日も爽やかな、空がすごく高くみえる快晴の天気だった。

最初の停車駅、乃木駅を出て少し行くと目の前に宍道湖が広がった。
静かな湖面を眺めていたが、ちょっと遠ざかっていった頃に玉造温泉に着いた。

この、~温泉という駅名を聞くのがすごく久し振りの感じがした。
思い出すと、小学校6年生の時の北陸・能登旅行で通った2つの駅、
芦原温泉駅と加賀温泉駅以来、久しぶりに聞いた響きだと思う。
(ちなみに、直前の合宿旅行で行った城崎温泉駅は当時「城崎駅」だった。)

玉造温泉駅を出ると線路は再び宍道湖畔へ。
シーズンには“しじみ漁”が盛んな湖に沿って心地よい景色の中を進む。
その穏やかな水面を眺める風景は宍道駅のすぐ手前まで続く。
やがて湖が見えなくなり、替わってちょっと遠くに出雲空港が見えてきた。

列車は松江市から斐川町に入り、荘原駅、直江駅に止まり、出雲市内へ。
すると一畑電鉄の線路が合流・平行し、10時31分、定刻通りに出雲市に着いた。
221Dはここ、出雲市で終点なのですべての乗客が順番に列車を降りてゆく。

さて、今回遠回りしてまで乗りたいと思った大社線。
この時すでに第3次廃止対象路線として承認が下り、存続期間が秒読み状態。
というわけでどうしてもこの機会に乗っておきたかったのだ。

次の大社線151Dはホームに停まっていたが、出発までには22分の余裕がある。
その時間に、ちょっと昔のまだ立体高架になっていない出雲市駅を散策した。
そしてその後、単行気動車が待つ大社線ホームへ。

10時53分、大社線151Dが出雲市駅を出発。
単行気動車がコトコト走り、山陰本線の線路から大きくそれる。
あっという間に町中を走り去り、広がる田んぼの中を進み、出雲高松駅に着いた。
ここまでの距離は約4キロ。

最初の駅なのだが、ここまで来れば路線のほぼ半分近く走ったことになる。
所要時間は4分ということから平均時速が大体60km/hとわかるのだが、
改めて本当にゆっくりだなぁと実感した。

次の停車駅である荒茅駅、そしてその次、大社駅と進んだ列車は早くも終点だ。
荘厳な建物の大社駅ですべての乗客と共に単行気動車を降り、僕も駅を出た。

ふ~っと大きく息をつき、ちょっとベンチで休憩してから輪行袋を開けた。
今回の鉄道旅行で、もうこの作業を何度繰り返しただろう。
自転車の組み立ても随分早くなった。
輪行袋を手際よくたたんで丸めて小袋に詰めるとスタンバイOK!

さぁ向かうぞ、日御碕!

JR大社駅前から颯爽と駆け出し、僕と自転車はぐんぐん北上を始めた。
日御碕という道路案内看板が随所に掲げられていて、8Kmと表示されていた。

「時速30km/hで最後まで走りきれるかな。そうしたら15~16分でいけるよな」

なんてことを思いながら自転車を快調に飛ばしていった。

そして、順調に走って約5分経過した頃、ふたたび「日御碕」の看板が見えた。
でもそこには「ここから8km」と書かれているではないか!。

きっと残り10分くらいで着くんじゃないかと期待していたところにこの看板!
これではまるで一歩も進んでいないような気分になるじゃないか。

気を取り直して自転車をこぎ始め、さらに2分後。
「日御碕まで8キロ」という看板。

きっと、どれだけ走ってもたどり着けないループを描いてるんだ・・・・
とまでは思わなくても、いい加減にしてくれよ!とがっくりしながらトロトロ進んだ。
そうしてゆっくり進んだところ、「7Km」の看板が出てきた。

「やっと1キロ進んだ。時速6km/hか・・・・」

結局のところ全体で25分ほどかかって、目的地の日御碕に到着。
いったい何キロあったのか実際のところは分からなかった。

そんな、ちょっと不思議な思いで走った道だったが、
日御碕の海岸と灯台から見る景色は最高だった。
出雲日御碕

大社線と自転車でやってきた出雲日御碕は海猫たちが飛び回る絶壁の海岸。
そして43mを越える日本一の高さの白亜灯台は岬周辺を一望できる。

十分満喫し、帰りには露店の香ばしい匂いに誘われ美味いイカ焼きを食べ、
人で賑わう露店の間をすり抜けるようにして帰りの道に出た。
その間、自転車を押しながら歩く所が他の旅行者から見たら異質だろう。

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