急行千秋号の簡単な解説
◆ 米沢・仙台~秋田を結ぶ急行として1982年11月15日改正まで活躍した。仙台発着の編成は陸羽東線経由で、新庄で解結、また米沢発着の編成は酒田発着(陸羽西線経由)の急行もがみ号と解結ということで、複雑な運用が行われていた。またさらに、大曲~秋田間では急行南八幡平(のちの急行たざわ)との併結も行われていた。1969年10月改正では1往復の運転区間が青森まで延長され、一気に距離が伸びた。
キハ58系を使用して次々と編成の組み換えをしながら走るのは見る角度によっては効率的だったかと思われるが、「時間」という角度で見るならば間違いなく非効率的であり、組み換えによって生じる20分もの停車というのは現代では考えられない形だ。
姿を消した1982年11月というのは東北新幹線本格開業・上越新幹線開業によるダイヤ改正の時であり、東日本の優等列車網が大きく再編された時。残念だが、消えるべくして消えた列車であったように思う。
急行千秋のデータファイル
【登場前:1965年10月1日】準急として命名。それまでの準急たざわからの改称による。
【登場時:1966年3月5日】急行格上げ。
運転区間: (往復) ・ 使用車両:(両)
【1982年11月15日改正】廃止。
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