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急行能登路号の簡単な解説
◆ 金沢~七尾・和倉温泉・穴水・輪島・珠洲・蛸島を結ぶ、気動車のローカル急行列車として、電化開業前までは七尾線の中心的存在だった急行能登路号。登場当初はキハ55系とキハ58系の共存状態だったが1975年以降はキハ58系に統一されたようだ。
1991年9月1日の電化後も、電車化されたのは和倉温泉以南で運転完結する短距離版だけで、その他はそれまでと同様、キハ58系の国鉄急行色車でほとんどの期間を過ごした。晩年には能登鉄道線乗り入れ用として黄色基調の車体カラーに変更したものが走った。それでも急行能登路らしさを一番感じられたのは、絵入りプレートのトレインマークを誇らしげに掲げた国鉄急行色時代だろう。
重複する区間を走る臨時急行ゆのはな号という列車も走っていたが、こちらにもシンプルながらヘッドマークが取り付けられていた。
現在はその区間の一部を特急能登かがり火号・および観光特急花嫁のれん号が担っている。
*** 画像提供:k-office様・kogane-turbo様
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◆急行能登路号の画像ご紹介
気動車急行と言えば全国的にキハ28・58というくらい、どこでも見られた姿だったとはいえ、トレインマークによって際立った存在だった急行能登路号。一時期、能登路1号と12号にロマンスカーと呼ばれる特別車両を(下り基準で先頭車両に)組み込んで、グレードアップを計っていたこともある。入り口付近には専用のロゴマークのステッカーが貼られていた。8号車という表示がある通り、ローカル急行とは思えない長い編成で、かなりの需要に応える列車だった。
※ロマンスカーはキハ28 2049で、後にゴールデンエクスプレスアストルに組み込まれた。
【類似列車】のと恋路号
能登線がのと鉄道へと第三セクター化されてから、NT800形パノラマ車両を使用した「のと恋路号」が活躍していた。類似列車としてここで紹介したい。国鉄時代から、ロマンチックな駅名として北海道・広尾線の「愛国・幸福」と並び超有名駅だった「能登線・恋路駅」。その知名度にあやかって設定されたのがこの列車だ。
◆晩年の急行能登路号・専用カラー車
・多くのローカル線と同様、急行天国と言える状態の路線だったが、ゆぅトピア和倉号に始まり、特急スーパー雷鳥、特急しらさぎ、特急はくたか等特急の乗り入れにより勢力を減らし、姿を消した。晩年はこの専用塗装で細々と運転していたので、往年の輝きには程遠い印象だった。
◆急行能登路号のお役立ちサイトご紹介
●【鉄道模型製作用参考写真集】・・・編成単位ではなく、1車両ごとのサイドビューをとらえた写真集。大きな画像データなので細部に至るまで見て確かめることができる、非常におすすめのサイト。 ●能登路色+国鉄色 キハ58リバイバル能登路
急行能登路号のデータファイル
【愛称登場時:準急】1960年4月1日 運転区間:金沢~輪島 ※表記はひらがなで「のとじ」
【1964年10月1日】表記を漢字の「能登路」に変更。
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【登場時:1966年3月5日】急行格上げによる。 運転本数:3往復
・・・一部が準急のまま、「つくも」の愛称に変更。
【1968年10月】準急全廃により吸収して5往復に。
【1972年3月15日】ヘッドマーク採用。下7・上10に増発(不定期含む)。
【1975年3月10日】キハ58系に統一。
【1978年10月】下9・上10に増発。
【1980年7月】ロマンスカー登場。
【1986年11月】7往復。
【1991年9月1日】七尾線・和倉温泉電化。和倉温泉~輪島間の第三セクター化(のと鉄道に移管)。
・・・1往復を電車化、415系800番代(金沢~和倉温泉)
【2001年3月3日】のと鉄道穴水~輪島が廃止されるのを前に1往復(キハ58系)に削減。
【2002年3月23日】廃止。
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