急行きのくに号の簡単な解説
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◆紀勢西線初の気動車準急として1958年12月に登場した準急きのくに号はSL+客車での3時間半(天王寺~白浜口)での3時間切りを成し遂げ、全車指定席の人気列車となった。同路線の列車としては格調高い位置づけが定着していたが、愛称の統一が実施されて、自由席主体の急行南紀、急行しらはまを吸収したためイメージはがらりと変わったという。
南海電鉄・難波駅直通のきのくに号も設定されていたが、1980年頃から徐々に特急格上げによる愛称変更が相次ぎ、1985年3月改正で姿を消すこととなった。
急行きのくに号のデータファイル
【登場前:1958年12月1日】準急きのくに号が運行開始。
・ ●運転区間:天王寺~白浜口 使用車両:キハ55系気動車
【1959年7月15日改正(紀勢本線全通)】毎日運転の臨時列車を1往復増発。南海・難波発着編成を初めて連結。
【 同年10月20日改正】毎日運転の臨時列車1往復を定期列車化⇒2往復。
【1962年6月10日改正】天王寺~紀伊椿(現:椿)に1往復増発。
【1963年10月1日改正】1往復増発⇒4往復に。
【1965年3月1日】白浜口駅を白浜駅に改称。
【1965年10月1日改正】白浜行き1本を区間延長。新宮行きとする。
★【登場時:1966年3月5日改正】準急から急行に格上げ。
・ ●運転区間:天王寺・南海難波~白浜・紀伊椿・新宮 運転本数:4往復 使用車両:キハ55系
【1968年10月1日改正】大規模な系統整理。急行きのくに号は「阪和線・南海線直通~和歌山~紀勢本線内完結の急行列車」という明確な位置づけとなり、定期列車:天王寺発10本、天王寺行き8本、季節列車3往復。難波発着は定期列車3往復、季節列車1往復となった。
【1969年10月1日改正】天王寺~白浜の臨時列車を1往復増発。
【1972年10月2日改正】1往復を特急くろしお号に格上げ。
【1973年10月12日改正(伊勢線開業)】急行きのくに号に変更はなし。
【1978年10月2日改正(和歌山~新宮の電化)】
・ 9往復に減便。引き続き気動車での運行。紀伊田辺発新宮行き急行きのくに2号を新規設定。
【1980年10月1日改正】3往復を特急くろしお号に格上げ⇒季節列車を含めて6往復に縮小。
【1982年5月17日改正(関西本線名古屋~亀山電化)】鳥羽乗り入れを終了。
【 同年11月15日改正】天王寺⇒新宮の夜行きのくに号を季節列車化。
【1984年2月1日改正】夜行列車廃止。天王寺発3本、天王寺行き5本・南海難波発着2往復に。
【1985年3月14日改正】すべてを特急くろしお号に昇格して廃止。南海直通列車も終了。
※1985年3月13日は、翌日からの特急くろしお運用に就く485系を使用して運転したとの情報がある。
急行きのくに号のおすすめサイト
・ 【鉄道趣味のページ 和歌山の鉄道】次田様のHPより 多数の画像が紹介されています。思い出の急行きのくに