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寝台特急彗星号の簡単な解説
◆ 新大阪~都城・宮崎などを結ぶブルートレイン(時期によって変化あり)として2005年まで活躍した寝台特急彗星号。
彗星の愛称そのものは急行銀河号などと並び、東京~大阪を結ぶ夜行急行としてデビューしたものだったが、東海道新幹線開業の1964年10月1日改正で廃止されてから4年のブランクを経て1968年10月1日改正で寝台特急として再び登場。その後、ブルートレインとしてだけでなく583系の国鉄型寝台電車を使用して運転された。
南九州方面が新婚旅行のメッカと言われた時代には大変重宝され、最大5往復を誇ったこともあった。1984年からは機関車につく丸型ヘッドマークも復活採用されたりしたが、夜行列車の衰退と共に数を減らし、2000年3月のダイヤ改正では寝台特急あかつき号との併結運転を実施するほどにまで編成短縮された後、2005年に姿を消した。
・余談だが、同様の区間には夜行急行日南号(2代目)⇒夜行急行くにさき号が並行して運転されていた時期もあった。
※画像提供:Teru-t2様・Amanogawa_exp様
◆寝台特急彗星号のデータファイル
【登場時:1968年10月1日】
・ ●運転区間:新大阪~宮崎 運転本数:1往復 使用車両:20系
【1970年10月1日改正】都城発着に延長。
【1972年3月15日改正】新大阪~大分で1往復増発⇒2往復に。
【1973年5月9日特記事項】C57(SL)の重連運転で運行されたが、SLが国鉄の定期特急列車を牽引した最後のケースとなった。
【1973年10月1日改正】新大阪~大分に2往復増発⇒4往復に。1往復(14系)は佐世保発着の寝台特急あかつき号と門司で増解結。(都城:20系、あと2往復:24系)
【1974年4月25日改正】1往復増発。新大阪~大分(2往復14系・24系25形)・宮崎(2往復24系)・都城(1往復24系)の計5往復に。
・ 20系に代わり新製の24系25形客車を投入し、初の2段B寝台採用列車となる(別途、あかつき号も)。
【1974年ごろ?】日豊本線全線電化によりDF50使用を終了。
【1975年3月10日改正(山陽新幹線博多開業)】新大阪~大分・宮崎・都城発着、それぞれ1往復の計3往復に縮小し、583系との併用開始。(大分・宮崎:583系、都城:24系25形)
【1978年10月1日改正】大分発着分を24系25形に再変更。
【1980年10月1日改正】大分発着を廃止⇒2往復に。
【1984年2月1日改正】宮崎発着を廃止⇒新大阪~都城の1往復(24系25形)のみに。
【1986年11月1日改正】使用車両を14系15形に変更。
【1994年12月3日改正】使用車両を24系25形に変更する。
【1995年1月17日~3月31日震災の影響】運休。
【1995年4月20日改正】南宮崎発着に短縮。
【2000年3月11日改正】長崎発着の寝台特急あかつき号と併結運転開始、同時に京都発着に変更。EF66牽引(前日から)
・ 車両も14系15形に変更し、「ソロ」(1人用B個室寝台)を連結。
【2005年10月1日改正】廃止。
◆寝台特急彗星号の激レア画像
2000年3月10日の寝台特急彗星号は翌日からのあかつき併結を目前にした最後の単独運転の日。そして、寝台特急彗星といえば長らくEF65PF機による牽引であったためEF66による牽引はあかつき併結によって初めて実現するはずだったのだが、おそらく機関車の運用の関係でこの単独運転最終日はEF66による牽引となり、非常に珍しい姿を見せてくれた。
ちなみに、翌日以降の姿は下の画像のものである。
◆寝台特急彗星号のお役立ちサイトご紹介
●【鉄道模型製作用参考写真集】・・・編成単位ではなく、1車両ごとのサイドビューをとらえた写真集。大きな画像データなので細部に至るまで見て確かめることができる、非常におすすめのサイト。 ●EF65牽引・寝台特急彗星