寝台特急あさかぜ号◆データファイル(2023-5) | 列車データ館
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寝台特急あさかぜ号◆データファイル(2023-5)

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寝台特急あさかぜ号の簡単な解説

◆東京~下関・博多の寝台特急として活躍したブルートレインあさかぜ号。ef65pf-asakaze

寝台特急富士さくらを差し置いて、元祖ブルートレイン・20系車両をいち早く導入した、寝台特急のビッグネームであり、JR化前後には4人個室カルテットやロビーカーなどを導入し、時代を切り開く先駆け的な役割を担ってきた。また、1964年から65年にかけての1等寝台車6両連結の編成はこの時代としては圧巻の豪華編成だった。

しかし、時は流れブルートレインを初めとした夜行列車全体の衰退という逆風の中、最後まで残ることはできずに姿を消した。余談ではあるが、寝台特急サンライズ出雲サンライズ瀬戸用の285系電車にはサンライズあさかぜという愛称幕が含まれているらしく、案としては存在したことをうかがい知ることができる。確かに、下関発着であれば直流区間で完結するわけだから設定そのものの障壁は低いように思える。しかしながら今のところ実現する見通しはない。
(*画像提供:Teru-t2様・Amanogawa_exp様)

レア・ヘッドマークの寝台特急あさかぜ

どこがレアか、皆さんはお分かりになるだろうか?九州タイプのあさかぜ号ヘッドマークはローマ字表記がなく、それは寝台特急鳥海とこのマークのみの特徴だ。しかし、下の写真のマークはそれとは別に、ものすごいレアなマークとなっている。ずっとヘッドマークにばかり注目してきた私が初めて見たマークだ。

寝台特急あさかぜ・ED76のヘッドマークがレア

寝台特急あさかぜ・ED76のヘッドマークがレア

「風」を表現した飾りが列車名の上に2本、下に3本ついている。「え?3本!」。

正式版は2本のはずであり、3本もあるのはこの写真以外には見たことがない。制作担当の方が間違えたということがあるのだろうか。それとも、意図的に個性を出したものなのだろうか。撮影は1986年。ネット上で調査したところ、同様のヘッドマークを装着したものがわずかながら見つかった。一つは同じED76-1000、そしてEF30とEF81-300の関門専用機。そして面白いことにそのいずれも1986年の撮影だった。

おそらくだがその後の画像でほぼ見られないことからJR発足前までには是正のために姿を消したのではないだろうか。国鉄マンの遊び心を反映したものかな?などと想像してみるとちょっと楽しくなる。

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◆寝台特急あさかぜ号のお役立ちサイトご紹介

●【鉄道模型製作用参考写真集】・・・編成単位ではなく、1車両ごとのサイドビューをとらえた写真集。大きな画像データなので細部に至るまで見て確かめることができる、非常におすすめのサイト。 ●寝台特急あさかぜEF66・その1 寝台特急あさかぜEF66牽引・その2

●【ARC資料館】・・・寝台特急あさかぜ編成の変遷

◆寝台特急あさかぜ号のデータファイル

【登場時:1956年11月19日】 ●運転区間:東京~博多  運転本数:1往復  使用車両:旧型客車
・ 戦後初の夜行特急列車として運転開始。
25asakaze-tokyo【1957年3月19日改正】広島以東で増結開始。
【 同年7月20日~】混雑緩和のため、同区間に不定期夜行特急さちかぜ号登場(実際には毎日運転)。
【 同年10月1日改正】特急さちかぜ号を定期列車化し、区間延長⇒東京~長崎駅間とする。
・ 特急あさかぜ号は全車両、東京~博多となる。
【1958年10月1日改正】新開発の20系客車(品川区)を投入。HMも初めての外部デザイナーによる制作品。
【1960年年末~翌年始】臨時あさかぜ(東京~熊本)を運転。後の不定期特急みずほ号となる。
【1963年12月20日】牽引機関車をEF58形からEF60形に変更。
【1964年3月20日改正】一等寝台車が6両も連結される通称「殿様あさかぜ」編成が登場(1965/9/30で1両減⇒5両に)。
【1965年10月】EF65P形による牽引に変更
【1968年10月1日改正】:臨時列車あさかぜ号の1往復を定期化⇒2往復(下関運+広島運)に。
【1970年10月1日改正】
・ 寝台急行安芸(東京~呉線~広島)を格上げ統合(下関発着・付属:広島発着)。⇒3往復に。
【1972年3月15日改正】1往復を14系客車に置き換え(基本8両、A/食を含む。付属6。品川区)。
【1973年9月】関門間でEF81-300併用開始。
【1975年3月10日改正(山陽新幹線博多開業)】14系使用の1往復を廃止。⇒2往復に。
・ またグリーン車(ナロ20形)と全室個室寝台車(ナロネ20形)の連結を終了。
※このナロネ20形はあさかぜ専用で使用され3両だけ存在した。1人用ルーメット・2人用コンパートメントで構成された。
・ この時から下関発着列車は寝台特急瀬戸号と共通運用化。
【1976年8月】臨時あさかぜ51号に24系25形客車を使用。(東京発着の寝台特急初の2段B寝台)。
【1977年9月25日】下関発上り列車に24系25形客車14両モノクラス編成に変更。(下りは9/28から)
【1978年2月1日】博多発着列車にも24系25形客車14両(A/食を含む)を投入。門司~博多間牽引機はED75-300またはED76に変更。
【 同年7月28日~】東京~下関間の牽引機をEF65PF形に変更。
【 同年10月1日改正】制度変更で号数を変更。博多発着が1・4号、下関発着が2・3号に。

【1985年3月14日改正】東京~下関間の牽引機をEF66形に、門司~博多間牽引機はED76に変更。
【1986年11月1日】カルテット(B寝台4人用個室)の連結開始。EF30形の退役⇒EF81にて運転。
【 同年12月25日~】ステンレス帯をゴールドに変更。1・4号の編成全体のリニューアルと食堂車のグレードアップ。
【1987年3月14日改正】1・4号、ミニロビーとシャワー室付き・デュエット(B寝台2人個室)車両連結開始。
【 同年4月1日改正】下関発着がJR西日本所属に。博多発着がJR東日本所属となりグレードアップ食堂車(オリエント急行風レトロ調)を連結。
【1989年12月12日】2・3号にラウンジカー(オハ25-300)またはそれにパンタグラフ集電による電源を追加したタイプの車両(スハ25-300)を連結。いずれもシャワー室付き。
【1990年3月10日改正】2・3号、シングルデラックス(A寝台1人用個室)を連結開始。
【 同年 時期調査中】1・4号のEF81が関門間だけでなく博多まで直通開始。
【1993年3月18日改正】1・4号の食堂車営業を休止。売店営業へ。
【1994年12月3日改正】1・4号(博多発着)を臨時列車に格下げ、81・82号となる。
・ 2・3号は広島での編成分割を止め、全車両が下関直通となる(編成丸ごと下関所属に変更)。
【1997年12月】車内販売と売店営業を中止。
【2000年12月】臨時あさかぜ81・82号の運転終了。
【2005年3月1日改正】廃止。

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