寝台特急あさかぜ号◆トレインマーク&データ!

・スポンサーリンク・
寝台特急あさかぜHM本州型

ef65pf-asakaze

寝台特急あさかぜ号の簡単な解説

寝台特急あさかぜHM本州型◆東京~下関・博多の寝台特急として活躍したブルートレインあさかぜ号。

寝台特急富士さくらを差し置いて、元祖ブルートレイン・20系車両をいち早く導入した、寝台特急のビッグネームであり、JR化前後には4人個室カルテットやロビーカーなどを導入し、時代を切り開く先駆け的な役割を担ってきた。また、1964年から65年にかけての1等寝台車6両連結の編成はこの時代としては圧巻の豪華編成だった。

しかし、時は流れブルートレインを初めとした夜行列車全体の衰退という逆風の中、最後まで残ることはできずに姿を消した。余談ではあるが、寝台特急サンライズ出雲サンライズ瀬戸用の285系電車にはサンライズあさかぜという愛称幕が含まれているらしく、案としては存在したことをうかがい知ることができる。確かに、下関発着であれば直流区間で完結するわけだから設定そのものの障壁は低いように思える。しかしながら今のところ実現する見通しはない。
(*画像提供:Teru-t2様)

◆寝台特急あさかぜ号のトレインマーク

寝台特急あさかぜHM九州型・ブルートレインといえば、夜をイメージさせる列車名が多いような気がするのだが、この列車はさわやかな朝を強調したネーミング。そんな「あさかぜ号」のヘッドマークは緑の中を走るそよ風の印象より、風格を感じさせる高貴な風を連想させられる。

寝台特急さくら号のルーツとなった特急さちかぜ号が愛称変更された理由が「あさかぜ号と似ていて紛らわしいから」というエピソードは有名だ。

このあさかぜ号の円形ヘッドマークには本州用九州用があって基本的なデザインは同じコンセプトなのだが、九州用の場合は英字表記がないことが特徴的だ。単独列車のHMとしてはこのマークと寝台特急鳥海号のみ、英字表記がない。

 

寝台特急あさかぜテールマーク

個人的な予想では、下関発着の、機関車交換を必要としない あさかぜ号がいわゆる東京~九州方面のブルートレインの中で一番最後まで残ると思っていたのだが、どうやら大きな勘違いだったようだ。

テールマークは文字のフォントがHMとは大きく異なる。爽やかさに軽やかさを合わせたような印象だ。

◆寝台特急あさかぜ号の画像集

ef66-asakaze-up長い間定期列車で2往復走ったあさかぜ号の名は広く知られていたようで、鉄道ファンでない人であっても「ブルートレインあさかぜ号は知っている」という人が多かったように思う。最盛期であった1971年末から1975年3月改正前までは、定期列車3往復に加えて臨時の51号が入る超過密状態が見られた。14系を使用したイメージは薄いが、実は20系がメインだった最盛期の3往復のうち1往復は14系客車での運転だった。1往復削減の時に姿を消した。

その後、24系25形時代が長かった寝台特急あさかぜ号だが、その姿は時代と共にいろいろな変化を遂げてきた。ロビーカー(デュエット車両の半室)の導入などもその一例だったが、外見上のインパクトでは金帯化が大きな変更と言えるだろう。

とはいえ、この金帯はどちらかと言えば「おうど色」的な色であり、25asakaze従来の装飾だったステンレス帯から比べると「輝きが失せた」、まるで寝台特急の行く末を感じさせられるような色だったように思う。もう一つの特異な時代としてスハ25形連結時代がある。

パンタグラフを装備してカニ24を連結しない編成が存在した1990年代以降だ。ブルートレイン便が廃止されて荷物車が不要になった後、すべてその形でも良かったような気がするが、寝台特急そのものが全廃へと向かう中、そんな議論そのものが不要となった。

◆臨時寝台特急あさかぜ号の画像集

1980年代には20系客車を使用した臨時寝台特急が数多く見られていた。そして、この1983年の場合は51号というように50番台の番号が列車に付された。後には81号など、もっと大きい番号に変更された。asakaze1中にはデザインテールマークが用意された臨時特急もあったが、おそらく東京口の臨時ブルートレインには用意されなかったと思われ、あさかぜ号も文字のみのままだったと思われる。

asakaze2

◆寝台特急あさかぜ号のお役立ちサイトご紹介

●【鉄道模型製作用参考写真集】・・・編成単位ではなく、1車両ごとのサイドビューをとらえた写真集。大きな画像データなので細部に至るまで見て確かめることができる、非常におすすめのサイト。 ●寝台特急あさかぜEF66・その1 寝台特急あさかぜEF66牽引・その2

●【ARC資料館】・・・寝台特急あさかぜ編成の変遷

◆寝台特急あさかぜ号のデータファイル

【登場時:1956年11月19日】 ●運転区間:東京~博多  運転本数:1往復  使用車両:旧型客車
・ 戦後初の夜行特急列車として運転開始。
25asakaze-tokyo【1957年3月19日改正】広島以東で増結開始。
【 同年7月20日~】混雑緩和のため、同区間に不定期夜行特急さちかぜ号登場(実際には毎日運転)。
【 同年10月1日改正】特急さちかぜ号を定期列車化し、区間延長⇒東京~長崎駅間とする。
・ 特急あさかぜ号は全車両、東京~博多となる。
【1958年10月1日改正】新開発の20系客車(品川区)を投入。
【1960年年末~翌年始】臨時あさかぜ(東京~熊本)を運転。後の不定期特急みずほ号となる。
【1963年12月20日】牽引機関車をEF58形からEF60形に変更。
【1964年3月20日改正】一等寝台車が6両も連結される通称「殿様あさかぜ」編成が登場(1965/9/30で1両減⇒5両に)。
【1965年10月】EF65P形による牽引に変更
【1968年10月1日改正】:臨時列車あさかぜ号の1往復を定期化⇒2往復(下関運+広島運)に。
【1970年10月1日改正】
・ 寝台急行安芸(東京~呉線~広島)を格上げ統合(下関発着・付属:広島発着)。⇒3往復に。
【1972年3月15日改正】1往復を14系客車に置き換え(基本8両、A/食を含む。付属6。品川区)。
【1973年9月】関門間でEF81-300併用開始。
【1975年3月10日改正(山陽新幹線博多開業)】14系使用の1往復を廃止。⇒2往復に。
・ またグリーン車(ナロ20形)と全室個室寝台車(ナロネ20形)の連結を終了。
※このナロネ20形はあさかぜ専用で使用され3両だけ存在した。1人用ルーメット・2人用コンパートメントで構成された。
・ この時から下関発着列車は寝台特急瀬戸号と共通運用化。
【1976年8月】臨時あさかぜ51号に24系25形客車を使用。(東京発着の寝台特急初の2段B寝台)。
【1977年9月25日】下関発上り列車に24系25形客車14両モノクラス編成に変更。(下りは9/28から)
【1978年2月1日】博多発着列車にも24系25形客車14両(A/食を含む)を投入。門司~博多間牽引機はED75-300またはED76に変更。
【 同年7月28日~】東京~下関間の牽引機をEF65PF形に変更。
【 同年10月1日改正】制度変更で号数を変更。博多発着が1・4号、下関発着が2・3号に。

【1985年3月14日改正】東京~下関間の牽引機をEF66形に、門司~博多間牽引機はED76に変更。
【1986年11月1日】カルテット(B寝台4人用個室)の連結開始。EF30形の退役⇒EF81にて運転。
【 同年12月25日~】ステンレス帯をゴールドに変更。1・4号の編成全体のリニューアルと食堂車のグレードアップ。
【1987年3月14日改正】1・4号、ミニロビーとシャワー室付き・デュエット(B寝台2人個室)車両連結開始。
【 同年4月1日改正】下関発着がJR西日本所属に。博多発着がJR東日本所属となりグレードアップ食堂車(オリエント急行風レトロ調)を連結。
【1989年12月12日】2・3号にラウンジカー(オハ25-300)またはそれにパンタグラフ集電による電源を追加したタイプの車両(スハ25-300)を連結。いずれもシャワー室付き。
【1990年3月10日改正】2・3号、シングルデラックス(A寝台1人用個室)を連結開始。
【 同年 時期調査中】1・4号のEF81が関門間だけでなく博多まで直通開始。
【1993年3月18日改正】1・4号の食堂車営業を休止。売店営業へ。
【1994年12月3日改正】1・4号(博多発着)を臨時列車に格下げ、81・82号となる。
・ 2・3号は広島での編成分割を止め、全車両が下関直通となる(編成丸ごと下関所属に変更)。
【1997年12月】車内販売と売店営業を中止。
【2000年12月】臨時あさかぜ81・82号の運転終了。
【2005年3月1日改正】廃止。

保存

タイトルとURLをコピーしました