急行加賀号の簡単な解説
◆ 大阪~金沢を結ぶ急行として1963年4月20日の北陸本線金沢電化開業にあわせて471系電車で登場した。愛称そのものは同区間を走る客車編成の準急として存在したので、ブランクなしに急行格上げの形での登場であった。
同区間には同時に急行格上げとなった「急行ゆのくに」が共存することになったが、ゆのくにの方は全車座席指定、急行加賀の方は自由席をも含む編成ということで棲み分けがなされていた。
運転形態としては、下り2本・上り3本の設定で、客車準急時代は6時間以上かかっていたところを最速4時間半切りで結んだ。
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臨時急行加賀時代
定期列車としての愛称消滅後、わずかな期間を置いただけで臨時急行として再び活躍するようになった。その際は電車ではなく12系または14系客車を使用し、急行ゆのくにを、そして特急雷鳥を補完する列車として1990年ごろまで存続したようだ。
そこで完結かと思うところだが、なんとその後舞台を関東に移し、上野~金沢を長岡経由で結ぶ臨時急行として走り、1997年ごろの運転を最後にその歴史に幕を閉じている。ちなみに、その時共存していた急行能登は信越本線経由だった。
急行加賀号データファイル
【準急時代:1961年3月1日登場】※週末に限って運転する全車座席指定の列車として設定。
【急行加賀登場時:1963年4月20日】
運転区間:大阪~金沢(米原経由) 運転本数:下2・上3
【1964年10月(富山電化開業)】夜行のみの1往復に変更。
【1965年10月(糸魚川電化開業)】愛称統合により2往復に。
【1966年10月】1往復を特急雷鳥に格上げ⇒1往復に。
【1968年10月】愛称統合により急行ゆのくにとなる。⇒愛称消滅。
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【1970年ごろ】臨時急行加賀として客車編成で復活。
【1990年ごろ】大阪発着での臨時運転終了。
【1993?~1997?】上野発着での臨時急行加賀。
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