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寝台特急安芸号の簡単な解説
◆ 新大阪~下関を呉線経由で結んだ寝台特急安芸。1975年(山陽新幹線・博多開業時)に20系客車を使用して登場したが、前身の急行音戸号時代と変わらないスピードであったことや、特徴ともいえた呉線経由でありながら呉線沿線の利用者にとって有効とは言えない時間帯に通っていたことなどの要因から、わずか3年半後の1978年10月に廃止された。なお、呉線経由であったこと以外は寝台特急明星号が役割を引き受けるのに十分な存在だっただろう。また、よく誤解されている「急行安芸・急行あき」からの格上げではないことも添えておきたい。
※画像提供:Amanogawa_exp様
★ 最も短命な定期寝台特急である(3年6か月22日)。期間そのものは寝台特急いなば号と同一であり、両者ともに最も短命ではあるが、「いなば」の方は寝台特急出雲2・3号に改称したものであり、「安芸」の方は存在そのものが消滅したため、正真正銘「最短」なのはこちらと言えるだろう。
◆寝台特急安芸号のデータファイル
【登場時:1975年3月10日】急行音戸の特急格上げによる
●運転区間:新大阪~下関 運転本数:1往復 使用車両:20系
《編成》カニ21-ナロネ21-ナハネ20(7両)-ナハネフ21(22) 合計:電+9両
【1977年9月1日改正】24系25形に変更。
《編成》カニ24-オロネ25-オハネ25(7両)-オハネフ25 合計:電+9両
【1978年10月2日改正】 廃止。