【1988年8月16日】充電しながらこの日の宿へ・・・ | 列車データ館
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【1988年8月16日】充電しながらこの日の宿へ・・・

鉄道旅行記
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疲れた身体を癒す鉄分

丸一日の苦闘の末にようやく乗車できた標津線。
根室標津駅という、ある意味で最果ての駅を十分に目に焼き付ける余裕もなく、
とにかく「腰を下ろす」「来た列車に乗る」という行動をとってしまったことを幾らか後悔しながらも、「座ったまま移動できること」のありがたさを改めて感じ、中標津駅を目指した。

中標津というと空港もあるくらいの所だからさぞかし開けた町かと思ったが、そんなことを確かめる余裕もなく、呆然としながら窓の外を眺め、道中のことがほとんど記憶に残っていない状態だった。

さて、標津線について少し語るが、この路線はY字型している特殊な路線だ。
つまり、中標津駅を中心に、3方向にのびているのにいずれも標津線。
いやいや、2つに分けて別の名前を付けましょうよと言いたくなる。
僕は根室標津から中標津と経て厚床に向かう予定だが、乗り換えなくてはいけない。

約30分後の18:46、中標津駅に到着した。
この列車は中標津から釧網本線の標茶駅へとつながる路線の方に行く列車。
だから、僕はここで降りて、あらためて厚床行きに乗ることになる。

さて、次の列車は・・・。
あ、そうだった。恐ろしくつながりが悪いんだよなぁ。
1時間18分後、20:11の発車だ。

今夜の宿、みぃつけた!

まぁとにかく時間はたっぷりあるし、外に出てみよう。
ということで、改札を出てみると、そこには高そうな自転車があった。
PEUGEOTと書かれたその自転車はあのフランスの自動車メーカー、プジョー。
「かっちょええなぁ」と一言だけつぶやき、駅舎に戻って腰を下ろした。
僕の輪行袋は脇に挟むように、いや、腕をのせてもたれるように抱えていた。

すると一人の男の人が声をかけてきた。
「自転車ですか?」
そんな一言から弾んだ会話の相手は、先ほどのプジョーの持ち主だった。
色々と会話が続いたが、サイクリストの方がライダーより早起きだとか、
どこを回ってやって来ただとか、ずいぶん楽しい時間だった。

この人も行き当たりばったりの自転車旅行を楽しんでいらっしゃるようで、
「ちょっと、今晩の宿を探しに行ってきます」 と言い残し、
自転車も置いたままその人はふらふらと歩いて行った。

僕はその間に、この旅行を締めくくる「東京~京都」の新幹線の切符をとった。
そして、もう一度牛乳を買って飲んでいたところにさっきの人が戻ってきた。

その人は僕に、「これからどうするの?」と聞いてきたので、
「根室まで行って宿探しするんです」 と答えた。
答えては見たものの、全くあては無く、22時33分という到着時刻からは
「もう一晩野宿!」という結論が待っているかのようだった。

でも、そんな僕をその人が救ってくれることになろうとは!
その人は、旅行中に活用できる【安い宿リスト】を持っていて、僕に見せてくれた。

「へぇ~。こんなに安い宿がいっぱいあるんですね~」
そう言いながら目でリストをたどっていくと、400円という激安施設があった。

「え!400円?」  そう尋ねると、

「あぁ、それね。ツーリングトレインっていってね、布団とかなんにもない客車だよ」
と、説明してくれた。
僕にとっては初めて聞く名前だったが、結構知られている施設らしい。

それにしても布団もないってどんな施設なんや?という疑問がわきながらも
「客車に泊れる!」というワクワク感が勝ってしまった自分を
後で恨むことになろうとは、この時点では思いもしなかった。

とにかく、僕はこの400円のツーリングトレインに狙いを定めた。
そのことを伝えると、その人は中標津駅前の民宿に決めたと言って
そこから立ち上がった。
「風呂・テレビ付きで800円だから。」とのこと。

え?さっきのリストに載っていなくても、そんな民宿がまだあるのか!と、
衝撃を受けつつも、僕はやはり今日中に根室に行きたいという願いがあったので
ツーリングトレイン根室を目指した。

こうして、お互いにエールを送りながらその人と別れ、次の行程に進んだ。
僕は、長い1時間半の乗り換え時間を過ごした後、僕は厚床行きに乗り込んだ。
20:18発358D。 この日の最終列車だ。

あっ、とこに入ってゆっくりねむろ

厚床までの距離は約48㎞。1時間のトコトコローカル線の旅だ。
とっぷり日が暮れて暗闇を切り裂くようにして走っていく。
真夏の夜のローカル列車で僕は窓を開けて風を浴びていた。

すると、僕の帽子に何かがぶつかり、おでこを引っかかれる感覚があった。
「うわっ、なんやろ!」 と言いながら帽子をとってみると、
なんと大きなクワガタムシがくっついていた。

そんな田舎らしいアクシデントを経験し、21:22に厚床駅に着いた。

厚床駅での印象はただ一つ、シャッターが閉じられたKIOSKがあったことくらいだが、
そこでの19分の乗り換え時間の後、根室行き最終列車537Dに無事に乗車した。

それにしても長い長い一日、クタクタの一日を締めくくる最後の1時間弱の旅。
ぽか~んとしながら暗い車窓を眺め、到着する駅の駅名標を確かめながら
最果ての駅、根室までの汽車旅を楽しんだ。

22:33。根室着。日本最東端の有人駅に到着した。
さて、無事にツーリングトレインに泊ることができるのだろうか。

ツーリングトレイン根室

根室本線(現在の愛称:花咲線)の最終列車537Dが根室駅に到着した。
時刻は22:33分。ここでの下車人数は10人に満たない。

それにしても、ついに日本の東の果ての地にやってきたんだなぁ。
そんな思いが大きな達成感としてあふれてきた。

とはいえ、目の前の現実として「ツーリングトレイン」をしっかり確保しなければ。
というわけで、根室駅の改札で駅員さんに尋ねた。
「あの~、、ツーリングトレインに宿泊したいんですけど・・・」
そういうと、
「はい、いいですよ。あと4か所あいています。」
という返事が返ってきた。

なんと、大盛況で残りはわずか4か所だった。あぶないあぶない!
とにかく400円を支払い、1号車21番の指定を受けてそこに向かおうとした。

だが! その直後に高校生くらいと小学生くらいと思われる兄弟らしき2人組が同じ申し込みをするのが聞こえた。

あと3区画空いているはずなのだが、後ろで思わぬ声が聞こえた。
「あと一つしか空いていませんね。」

え~!そんなはずないやろ! 4 引く 1 は 3 やで! と思いながら、なんだか気になってそのやり取りを見届けることにした。
そして数分後、駅員さんが間違いを認めて 「3つ残っていました」 と言い、
一件落着した。

さて、僕は案内図を見ながら駅舎を出、建物沿いに左に曲がってさらに左に曲がった。そこは線路上だが、終端駅のその先にある引き込み線。線路上を堂々と歩いて渡れるというワクワクするシチュエーションだ。
線路を横切って旧型客車のツーリングトレインの向こう側に回り、手前から3号車、2号車と数えながら一番遠い位置にある1号車まで来た。

ついに客車の入り口に来てステップを数段上って中に入った。すると、寝台客車の様に窓際(向かって左)に細い通路があって、それ以外は一面に広がる畳の平地。そこに数多くの泊り客が雑魚寝していた。

僕の「21番」というスペースもすでに誰かが占領していて、ものすごいひどい寝相で寝ていた。

「あのぉ~、すみません。ここ、僕のスペースなんで、ちょっと空けてもらえます?」
そういうと、その人はまるで寝言でも言うような感じで何かつぶやきながら、向こう側に寝返りを打った。

さて、先ほどこのツーリングトレインまで歩いてくる時、すごくきれいな星空にすっかり目が奪われていた。それで、僕は少し星空撮影をすることにした。

なにしろ、ここまでずっと重いカメラバッグを首から下げながら自転車をこいできたのだから。

そうして写した写真。
東側の空にあるおうし座を中心に写している。
上の方、電線の左にすばる(M45プレヤデス星団)がはっきり見て取れる。

もちろん、自分の目で見たあの時の星空の感動は写真では伝えられそうもない。

僕が撮影していると大学生くらいの人が近づいてきて、
「何を撮っているんですか?」と尋ねてきた。

僕は星の写真であることを簡単に説明した。
その人は興味深そうに数分間様子を見ていたが、
やがて、「きれいな写真を撮ってくださいね。」と言い残して去って行った。

さて、この後僕は自分の区画で寝ることになるのだが、そこにあるのは畳だけ。
毛布はおろか、タオルケットすらもない。
これは予想していた以上にきつい夜になりそうだ。

僕の持っている服と言えば、長そではジャージ一枚
半袖も着替え用のシャツが4枚ほどあるだけ。

夜の11時半の時点ですでに冷え込みが始まっているため、
とにかく着替え用に持っているシャツ4枚を重ね着してジャージを着て寝た。
(そうするしかなかった・・・)

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