まずはスタートラインへ~樟葉駅⇒大阪駅
1988年の夏は僕にとって長い。
言ってみれば前菜のような旅行「天文気象部の合宿」を終え、
メインディッシュともいえる北海道への旅が始まる。
1988年8月9日火曜日。
当然のことながらこの日はしっかり早起きし、今一度手荷物のチェックをする。
それを完了し、我が愛車「エンペラー・ロードレーサー」に乗りスタートした。
まずはいつもの最寄り駅、京阪電車・樟葉駅に向かう。
ラッシュアワー真っ只中の午前8時前、通勤時間帯の樟葉駅は人でごった返す。
それでも、改札の右の方で最初の自転車分解作業が始まる。
輪行袋を遠慮がちに広げて詰め込み作業中、後ろから大勢の呼び声が聞こえた。
「先輩!」
天文気象部のメンバーが差し入れをもって見送りに来てくれたのだ。
渡してくれた紙袋にはお菓子やペンやその他が入っていた。
みんなに別れを告げて、輪行袋と大きなバッグとカメラと差し入れの紙袋を抱え、
改札口を抜けてエスカレーターに乗るとカッコウの声がいつものように聞こえる。
ホームに上がると、わずか数分で三条行きの急行がやってきた。
大阪方面行きと比べると少ないが、それでも結構混雑している。
なぜ京都に向かうのか?
さて、今回僕は大阪から特急白鳥号に乗るのにどうして京都に向かうのか。
その理由は、この旅行の最初の一枚、京阪電車の切符から記念に残すためだ。
この当時、東福寺駅はJR奈良線と京阪が隣り合わせの一面ホームになっていた。
柵も改札もなく、そのまま乗換えでき、その瞬間に切符をGETできたのだ。
というわけで、この上なく面倒な方法ではあったがまず京都へ向かったのだ。
こうして東福寺駅からJR奈良線の一駅区間、105系電車に揺られ
京都駅の8番線(現在の10番線)に到着した。
京都駅の跨線橋を渡り、5番線から新快速に乗った。大阪まで29分の旅だ。
「この線路を、このあと特急白鳥に乗って逆に走るんだなぁ」と思いながら。
スピードにのり、117系新快速が西大路駅を通過する。
母からワコールにお遣いを頼まれた中学1年の記憶が頭をかすめる。
そして見えてきたのが向日町運転所。
この時間帯はかなりの車両が走行中なのか、とまっている車両は少ない。
快調に走る新快速はただ一箇所、新大阪にのみ停車してあっという間に大阪駅。
さぁいよいよ出発間近。輪行袋他大きな荷物を抱えて長距離列車ホーム11番線へ。
僕は大きく深呼吸して西の方、塚本駅方面を見つめる。
すると3つの光が見えた。紛れもなく特急白鳥号だ。
飛び立つ白鳥は北へ!
大阪駅11番ホーム、僕は今白鳥号の目の前にいる。
何度もみどりの窓口に通い、奔走してやっとの思いで手に入れたチケット。
僕が白鳥号に乗るのは小学6年夏の能登旅行以来だがその重みは全然違う。
それにもちろんだが、特急白鳥での全線走破は初めての経験だ。
発車のベルが鳴るまでの間、ホームで特急白鳥をじっくりと眺め、出発を待つ。
1号車の指定券だから列車の最後尾。ヘッドマークも見ていられる余裕がある。
9時54分、ついに白鳥号出発のベルがなり始めたので乗車した。
まずは最大の荷物、輪行袋をデッキの横のスペースにしっかりとくくりつけ、
自分の座席を探す。そして、荷物を棚に載せて僕は席に着いた。
ドアが静かに閉まり、すべるようにゆっくりと大阪駅を後にする白鳥号。
何とか取れた切符だから贅沢は言えないが僕の席は通路側のB席だ。
でも大阪駅出発時点では隣のA席に誰もおらず、空いているので窓際に座った。
轟音を立てて渡る淀川の鉄橋では、向こうに城東貨物線の赤川鉄橋が見える。
大阪駅を出て約5分。さっき見たばかりの新大阪駅に到着だ。
窓側席が空いていた喜びも束の間、新大阪駅でA席の乗客がやってきた。
・・・と思ったが、どうやら間違いだったようでどこかに行ってしまった。
そんな中、新大阪駅を出発。
ホーム上を覆う幅広い屋根のように新幹線ホームがあるが、
列車が動き出してそれをくぐり抜けると一気に周りは明るくなる。
特急白鳥号は快晴の空の下、どんどんスピードをあげていく。
僕は持ってきていたWALKMANを取り出し、お気に入りのテープを聴いた。
やがて、車掌さんがやってきて切符拝見。この日の担当は香川さん。
よく切符とれたねとでも言うようにニッコリして次に向かった。
右側に目をやると先ほど通った時にはあまり車両がいなかった向日町運転所も、
このたびはある程度車両が戻ってきており、幾らか華やいだ感じに見える。
新大阪を出て約20分経過。京都駅目前だ。
中学の頃から京都駅の1番ホームで特急の入線を見ていた自分の姿を思い出す。
「クネクネしながら到着していたよな・・・」
そうだ。幾つものポイントを左へ左へと渡るように左端の1番線に向かうのだ。
このポイントが来るたびにかなり揺れるのを味わった。
直前に見えた山陰線ホームにはキハ58の急行丹後1号の姿が見えた。
高校2年の時の天文気象部の竹野合宿をふと思い出した。
こうして列車は定刻通り京都に到着した。
僕はただ、「隣りの客、くるなよぉ」と思っていた。
特急白鳥号は定刻通り京都駅を10:25に出発した。
ここからはこれまでにも何度か乗ったことがある区間だ。
多少慣れているとはいっても、あの耳がツンとなるトンネルだけは好きになれない。
JR奈良線が右の方に消え、早速一つ目のトンネルが来た。
近所づきあいはストレスに・・・?
さて、出発して数分後、がっかりな出来事が。
ついに隣りの乗客が来てしまったのだ。
しかもずっと眉間にしわを寄せて30秒に1回ため息をつくビジネスマンだった。
出発してわずか5分でこのどんよりとした雰囲気に変わってしまうとは・・・。
しばらくして車掌さんがあらためてやってきた。
僕の切符拝見はすでに新大阪駅を出てすぐに済んでいたが、
さっき乗ってきたお隣の乗客のはまだだったからだ。
「切符拝見いたします。」
その時チラッと見えたのが切符に書かれた「京都・・直江津」の文字だった。
「えぇ~っ。この人と直江津までお隣なのかぁ。ガ~ン・・・」
しかし、そんな僕のショックを振り払ってくれる状況の変化が訪れた。
それは、車掌さんが次に切符拝見を行なった家族客のおかげだった。
何とそのご家族は4人バラバラの席に散らばっていたのだ。
そこで車掌さんが
「よろしかったら4人まとまった席がございますがいかがですか」
と、声を掛けているのが聞こえたのだ。しかもかなり遠方まで乗る乗客のようだ。
僕はすかさず車掌さんに近づいてこう言ってみた。
「すみません。今空いた席、空いている間だけ座っていていいですか?」
「あぁ、いいですよ。お客さんが来たらすぐあけてくださいね。」
やった~~~。
こうして僕の白鳥号の旅はどんより空気からすっかり開放されたのだ。
右側の窓の外を見ると琵琶湖の夏の景色が広がっていた。
心なしかすごく爽快な景色に思えた。
どんどん通過していく白鳥号
京都駅を出て最初の停車駅は敦賀駅である。
敦賀到着直前に僕のお目当てのひとつ、敦賀第二機関区が見えてくる。
と思ったのだが、どうやら車両基地の名称が変更になったらしい。
そして、EF70型交流電気機関車の姿があるかと思ったが、全く見当たらない。
確かに、小学生のあの時にも「ぎょうさん余っているなぁ」と感じたほどだったから、
既に廃車解体の運命をたどっていてもおかしくはない。
京都と同様、敦賀駅にも定刻通りに到着した。順調だ。
なにか面白いものはないか・・・・とキョロキョロ見回したがこれと言ってなかった。
しかし、敦賀駅出発後に間もなく何か気動車らしきものとすれ違った。
「何だろう?」と時刻表で調べたところ急行はしだて号とわかった。
はしだて号という名称は後には特急となったがこの時はローカル急行。
さて、先述の通り、白鳥号はあまり停車しない。
武生駅も鯖江駅も通過して福井駅に着く。
ここでの面白いもの。それは京福電鉄と越美北線。
越美北線はキハ120系が真っ先に導入された路線のひとつだが、
まだこの時点では国鉄型気動車が走っていた。
福井駅を出発して約2分後、車内放送が鳴った。
お決まりのように「次は芦原温泉です」と聞こえたが、それだけじゃなかった。
時は8月半ばに差し掛かり、高校野球が開幕していた。
そうだ。高校野球速報まで車内放送で伝えていたのだ。
白鳥号はこの後、加賀温泉、小松そして金沢へと進んでいった。
この1988年頃の金沢駅は高架化工事の真っ最中。
6年前に訪れたときの風景の面影を楽しむことなどまったく出来ず、
ただただ内張り用の建材ばかりが見える状態の金沢駅だった。
「これが金沢駅なのか・・・・」 と思わずため息が出てしまった。
ここ金沢では1分停車の予定だったが、理由不明で3分ほど停車した。
再び列車は動き出した。
無機質の金沢駅を抜けて、ここから少しの所に金沢運転区があるぞ。
これまでにもいろいろな車両に出会うことが出来た大好きな車両基地だ。
敦賀では見られなかったEF70や特急北越などの列車には出会えるだろうか・・。
最初に見えてきたのはオールドファンには最高の、ボロボロの旧型客車だった。
「うおぉ~、まだこんなとこで生きとったんかぁ」と心で叫びながら見つめた。
それから583系から近郊型への改造車として登場し、ゲテモノ呼ばわりされつつ
最近まで残党が活躍した419系。エンジ色に白帯の懐かしいカラーもの。
車両基地内のものは写真を撮るにもいいアングルで撮れないのが辛いが
それでも記録写真としては大事な一枚一枚だ。
さらに進むと、意外にも僕にとっては初めて出会う列車がいた。
大阪に拠点を置くジョイフルトレイン、サロンカーなにわ号だ。
僕はサロンエクスプレス東京にはデビュー早々出会うことができたのに、
同じ頃に地元大阪で登場したこの列車にはすれ違いばかりだったのだ。
そんな初めての出会いを喜びつつ撮影しているとその向こうには、
春にデビューしたばかりの特急かがやき号・特急きらめき号の車両が見えた。
こうして金沢運転区を通り過ぎ、森本を通過していく。
車内放送では再び高校野球速報が伝えられた。
次の津幡駅からは七尾線が左に大きくカーブするように分かれていく。
昔は難所と呼ばれていたらしい倶利伽羅峠も電車特急は軽々と走り抜けていく。
次の停車駅 高岡駅に到着すると、ホームの向こう側に水色とピンクの
高岡独特のカラーリングの車両が見えた。キハ45だろうか。
この駅は氷見線と城端線という二つのローカル線の起点でもあるので面白い。
懐かしい車両たちが独特の塗装を施されてそこにいるからだ。
さて、特急白鳥はまだ全行程の3分の1を目前にした所。先はまだまだ長い。
僕は相変わらず自分の指定席ではない「空席」に座っていたのだが、
「僕の席」の隣人、眉間にしわを寄せたおじさんはどうしているのだろうか?
と振り返ると、相変わらず眉間にしわを寄せていた。
直江津まではあともうしばらくだ。
あの重苦しい雰囲気が消えたら自分の席に戻ろう。
そう思いながら仮の席での車窓を楽しみ続けた。
もうすぐ富山駅である。
そんな車内では、弁当や飲み物、それにお土産の車内販売が回ってきていた。
考えてみると、僕は札幌でお世話になる西山君ご家族へのお土産を
用意し忘れていたことに気付き、その車内販売で買っておいた。
美味しいかどうかまったく知らないが、「加賀あんころ」というお餅。箱入り。
そうしているうちに特急白鳥号は富山駅に着いた。
するとそこには419系の食パン型先頭車がいるではないか。
TOWNトレインのヘッドマークを装着したものだ。
さっき金沢運転区で見たタイプは特急形運転台の先頭車でえんじ色の車両、
それに対しここにいるのはクリーム色に水色帯で、両方みられて嬉しかった。
富山駅を出発するとほんの少しだけ富山地方鉄道と併走する。
しかしすぐに右へとカーブし大きくそれていった。
ところがほんの10分少し経ったころだろうか。
気が付くと「いったいどこから来たの?」という感じで、再び線路が併走していた。
滑川から魚津へと富山地鉄との併走は続いていった。
前方に見えた地鉄の電車をスイスイと追い抜いて白鳥号は魚津駅に到着。
停車中に追いかけてきた列車に追いつかせないまま再び出発。
そんなふうに、白鳥号はどの駅にも長い停車をすることなく、先を急いでいった。
その後、懐かしい駅が見えた。中学校の修学旅行道中に見た越中宮崎駅だ。
あの時は道路側から見たがこのたびはまさにその構内を走り抜ける。
駅の駅名標を自慢の動体視力で確認し、ちょっと思い出に浸った。
越後の国へ、そして2人目の隣人・・・
さて、列車は新潟県入りし、その直後に上りの白鳥号とすれ違った。
とはいえまだ行程の半分には達していない。さすが日本一の長距離電車特急だ。
ちなみに、上りの白鳥号は午前6時前に青森を出発しているので、
下りよりかなり早い始動であり、だからこそここですれ違ったのだ。
やがて列車はその先の糸魚川駅に着いた。遠くに風情ある赤レンガの車庫。
ホームの向こうには大糸線の気動車の姿も見えている。
ここまで停車した駅はすべて、(予定外の金沢駅以外)1分停車の駅だ。
そして糸魚川の次の直江津駅が白鳥号が初めて2分停車する駅だ。
そこは、眉間じわおじさんが降りる駅でもある。
さあ、僕も自分の席に戻る仕度をしよう。
白鳥号が到着した直江津は2分停車だ。
そして、お隣の眉間ジワ乗客はついにこの駅で降りていった。
これで、座席の雰囲気がかなり変わるだろう。
発車のベルがなり、あわよくばしばらく空席の時間もあるかもしれないな。
そんな期待が高まり出した頃、いっぱいの荷物を抱えたおばさんが、
汗を拭き拭きフーフー言いながらやってきて、こう言った。
「お隣、私なんですが、ちょっといいですか」
「・・・・・あ、どうぞどうぞ」
落胆と沈黙と愛想笑いが同時に出てきた不思議な瞬間だった。
それでも何事もなかったように特急白鳥は走り出す。
荷物いっぱいのおばさんは棚の上にたくさんの荷物を置いたが、
それでもなお身の回りに荷物いっぱいだった(直江津で何を買ってきたのやら)。
ちなみに「おばさん」というのは当時の僕の感覚によるもので、
実際には現在の自分くらいかもしれない。
この度もその人の指定券に書かれた文字が見えたので行先がわかった。
わずかに長岡駅までの乗車らしい。新幹線乗り換えだろうか。
直江津から長岡はたったの50分の距離。あっという間に時間が経つだろう。
そう思ってのんびり構え、車窓を眺めた。
しばらくしてあたりが急に暗くなった。
と言っても、まだ15時半過ぎ。日没にはまだまだ早い。
それは上越新幹線の高架と交差するような形で長岡駅に
近づいてそのまま駅の建物にもぐりこんだ時だった。
隣りのおばさんはボーとしていたのか、あわてて降りる準備を始めたのだが、
荷物を降ろすのに必死でなぜか僕も一緒に手伝うはめに・・・。
そして両手いっぱいの荷物を手に車内の通路を進むおばさんが、「すみません、すみません」という声が、デッキに出るまで聞こえていた。
さて、荷物おばさんが去り、再び空席になったお隣の席。
今度は第3の乗客が来るのだろうか・・・?・・・・?
しかしやがて扉が閉まり特急白鳥は出発。しばらく入口を見ていたが誰も来ない。
そう、嬉しいことにこの長岡から新潟までは隣の席が空席だったのだ。
僕は喜んで窓側に座ることにした。
長岡の駅を出ると一気に周囲が明るくなった。窓の外はまだ十分景色を楽しめる。
その後、東三条、新津にはそれぞれ1分以下の停車時間しかなかったが、
そのあとの新潟には4分停車することになっている。
それは新潟駅で進行方向が逆になる白鳥号ならではのもので、
ほとんどの乗客がシートを回転させるために設けられた時間だ。
しかし僕は進行方向が変わるということを完璧なまでに忘れていた。
それで、新潟駅停車と同時に駅スタンプを求め列車を飛び降りてしまった。
でもなかなかスタンプが見つからない。すでに2分経過。残り2分しかない。
乗り遅れたらいっかんの終わりだ。
下車印だけはGETできたからまあいいか。と、撤収。
第三の隣人は気さくなオジサン
白鳥号に戻ってきてみると、僕の席を除いてすべてがさっきとは逆を向いていた。
しかも、新しいお隣の乗客がそこにやってきて、後ろ向きのまま座ろうとしている。
さすがにそんなのんきな乗り方はいやなので、お願いしてまわすことにした。
こうして、みんなと同じように前を向いて座り、逆向きの旅が始まった。
新潟から乗車してきたおじさんは気さくなおじさんだった。
一緒にシートを回転させてくれたあと色々と話しかけてくれた。
「君、学生さん?この先どこまで行くの?」
「あ、今高3なんですけど北海道を一周しようと思ってるんです」
「あ、そう?へぇ、リッチだねぇ。でも疲れるでしょう?」
「いえいえ、電車は大好きですから・・・・」
と、そんな会話をしながら白鳥号は進んだ。
窓の外ではさっきより太陽が傾いてきた海がよく見えていて、
車内放送でもそのことについての案内が流れた。
「ただいま車窓に見えますのが笹川流れでございます」
初めて聞く名前に、「いったい何が流れているんだ?」と頓珍漢な疑問。
よくわからないまま、きれいな景色だけ楽しんだ。
列車は新潟県から山形県へ。東北地方突入である。
さて鶴岡駅に着き、先のおじさんは比較的短距離の利用で降りていったが、
降りる直前にブルーベリーガムを数枚くれた。
白鳥号は鶴岡を出発したがお隣の席は空いたまま。
僕は再び窓側の席に詰めて座り、車窓を眺めた。
時刻は18:30を回っており、余目駅を過ぎるともう日暮れ。
朝から続いてきたこの列車の旅が終盤に入ったとあらためて感じた。
4番目・最後の隣人登場
列車は夕闇の酒田駅に到着した。・・・はず・・・。
実はこの時間帯には少し疲れが出ておりぼんやり気味でよく覚えていないのだ。
そして、いつの間にか隣りに4人目の乗客が乗ってきたのだが、
そのことにまったく気付きもせず窓の外を見ていた。
起きていたという記憶さえない。なんということだ。
つまり、気づかなかったと言う通り、その4人目の乗客はそのまま通路側に着席。
全く違和感なく座られたので僕は窓側の席にそのままになってしまった。
こうしてすっかり成り行きで窓際の席をゲットしてしまった僕だが、
不可抗力と言うことで、しかもお隣さんもご納得の上(?)ということで。
そんなことを知ってか知らずか特急白鳥号は酒田駅を出発、さらに北を目指した。
時刻表によると次の停車駅は羽後本荘駅である。
しかし、それよりまだ手前の象潟駅になぜか停車した。
この辺りからの記憶は鮮明に残っている。
時刻表に載っていないので客扱いはないがゆっくり景色を見られてよかった。
濃い夕闇が覆ってくる中、筆書き風かつ木製の駅名標に裸電球が照らしている。
ローカル色たっぷりの雰囲気にすっかり見入ってしまった。
白鳥号は出発し、羽後本荘の手前で寝台特急日本海とすれ違った。
そして秋田駅が近づいた頃、僕は再び駅スタンプを求めて体がうずき出した。
そして本能のままにスタンプ帖を手に改札を目指すことにした。
さっきまでは通路側だったので出やすかったがこの度は「ちょっと失礼します」
そう言って席を立ってホームへ。
瞬く間にスタンプをゲットして帰ってきた。
この駅の停車時間2分。よくやったものだと思う。
席に戻ってきた時、相変わらずお隣の乗客は通路側に座っていた。
ホッとしたような、何だか悪いような・・・。
さて、先ほどまでただ黙々と本を読んでいた隣りの乗客。
僕がスタンプGETから席に戻った時には、本を読み終えてボーっとしていた。
そして、「どこまで行くんですか?」と、尋ねられた。
そういえば、さっき鶴岡で降りたおじさんともそんな会話したよな。
そんなことを思いつつも「北海道一周するんです」と答え、少し話した。
この方は酒田の短大の学生さんで下宿生活しているらしい。
そして今回は帰省でご実家がある弘前に向かうところだという。
そして棚の上を見ると、この人の持ち物であるテニスラケットがにあったが、
ちょうどインカレが終わったところで、ようやく遅い夏休みが始まるのだとか。
ちなみに僕はこのインカレという言葉をこの時初めて知った。
時間は着々と過ぎて行き、その人が降りる弘前に近づいた。
食べかけの箱入チョコを僕にくれて、その人は去っていった。
こうして僕の隣の座席は空席のまま最後の時を迎えることになった。
青森までの約30分間、漆黒の夜空を眺めながら過ごし、
その間に乗り換えの準備も整えていった。
大阪から青森。
1040kmという、在来線昼行列車最長の距離を走破した。
言うまでもなく、実際に走ったのは僕自身ではないが。
その間、お隣の乗客が4人。こんな経験はその後も一度もない。
おそらく、これからもないと思う。
青森駅が目前だ。大阪からの白鳥号の旅はここで終わる。
それでも旅そのものは始まったばかり。目的地到着は明朝である。
海底に花咲くはまなす
特急白鳥号による大阪からの約12時間に渡る旅を終えて立つ青森駅のホーム。
しかし、その疲れを癒す休憩の余裕もなく重い輪行袋を肩に掛け乗り換えに急ぐ。
乗り換え先は同じホームの向かい側に停まっている急行はまなす号。
乗り換え時間の猶予はわずか4分しかない。残念ながらスタンプは不可能。
それより明日の朝までの立ち席にならないように必死で席を探す。
この日の急行はまなす号は、通常の5両編成の2倍以上つないでおり、
11両編という圧巻の長編成でで運転していた。
増結のお陰で、何両も移動して探しはしたものの座席は何とか確保出来た。
それで、輪行袋をいつものように倒れないように固定して確保した座席に着いた。
ちなみに、たくさんの客車が増結されていたお陰で、
ほとんどの人は2人がけの席を一人ずつベッド代わりに使用できていて、
翌朝まで「短すぎる寝台車」としてこの列車を活用したのである。
おそらく普段からそういう使い方の列車なのだろう。
もちろん僕もその一人であり、青森駅を出てすぐに爆睡体勢に入った。
本当は「青函トンネルに入ってから寝るぞ」と思っていたのだが、
急行はまなす号が動き出したあと青森駅を出る際のホームの端さえ
まったく記憶にないほどの恐るべき速さで寝てしまったのだ。
出発が早いか爆睡が早いか・・・・という感じ。
当然ながら青函トンネルの中での記憶はまったくない。
そんな僕が次に目が覚めたのは函館駅に到着した3分後だった。
急行はまなす号函館到着が1:13分だから。目覚めたのは1:16分だ。
函館駅停車中の急行はまなす号。
静寂の中にDD51ディーゼル機関車の甲高い汽笛が短く響く。
目覚めた僕はほぼ条件反射のようにしてスタンプ帖を手に取って
車両から飛び降りるようにして駆け出していった。
この駅の改札口はどっちから行くんだろう?
と、当てずっぽで向かった方向で正しかったらしく、見つけることができた。
まずは駅員さんに下車印を押してもらった。そしてスタンプ。
この頃のスタンプ収集は「集めさえすればいい」という集め方だった。
何となくシンプルで物足りない感じがしたスタンプだったが、
まずは押せた喜びを胸に、急行はまなす号が待つホームへと急いだ。
ED79はすっかり遠ざかり、DD51がセッティングされていた。
そして僕は今さらながら 「おっ、北海道の空気や」と深呼吸した。
函館駅を発車する時刻が来た。
深夜なのでベルが響くこともなく、笛の音だけを合図に扉が閉まり出発する。
函館駅を出たら3時間ほどの間、列車はただひたすら走り続ける。
もしかしたら途中にも運転停車などはあったのかもしれないが、
その間ずっと眠っていたため確かなことはわからない。
夜明けにはまだ少し早い4:22。薄明かりの東室蘭駅に到着。
僕がふと目が覚めたとき、目の前に駅名標が煌々と光っており、
最初はそれをボーっと見つめてしまった。「ずいぶん遠くまできたなぁ」。
と、その時 「あ、スタンプ!」 そう我に返ったが、発車まであと1分。
残念だが、行くのは諦めた。「あ~、4分停車やったのに」。
さすがにこのあとは再び睡魔が襲い、苫小牧も千歳空港も
まったく気付かないまま札幌が間近というところまで進んでいた。
札幌目前を知らせる車内放送が聞こえて周りのみんなもザワザワし始める。
白石駅、苗穂駅と通過していく間に身の回りの荷物を確かめて降りる準備をし、
今度は輪行袋もほどくためにみんなより一足先にデッキに向かった。
ついに札幌駅に到着。
ここで大阪から始まった長い行程に一旦ピリオドを打った。
乗車時間20時間23分。長かったなぁ。
急行はまなす号を降りた僕はとりあえず家に電話することにした。
早朝ではあるが、時差があるから・・・(そんなわけないか)
とにかく無事到着したことだけは知らせておいた。
「今着いたで。札幌。無事やから。それじゃ。」
驚いたことに、たったそれだけでテレフォンカードが6度数落ちた。
「やっぱり異国にきたんやわ」と、そんな気がした出来事だった。
青森からの夜行急行はまなす号が札幌に着いたのは早朝6時18分。
もちろん予定通りなのだがあまりにも早い時間なので、時間を持て余した。
お世話になる西山君の家にも午後から連絡を入れる約束になっている。
つまりそれまでの時間は壮大なフリータイムなのだ。
さすが雄大な北海道?(なにか勘違いしている。)
さあて、これからどこに行こう?