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【1988年8月18~19日】白糠駅。そして急行まりも号第2夜。

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鉄道旅行記

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白糠駅のスタンプ

駅員さんの、「いいのがありますよ」という一言は大きな期待を抱かせるものだった。

なにやらカゴに入ったスタンプの一式のような雰囲気のものをもって出てきてくださった。そこには2種類のスタンプが入っていた。

おぉ~!と雄たけびを上げてまず一つ目を押した。
根室本線・白糠駅のスタンプいやいや、こっちはレギュラータイプのものだ。「ふ~ん、白糠駒踊りっていうのがあるのかぁ」。

雄たけびの対象はこちらだった。この時点でもすでに廃止されてから5年が経過しようとしていた白糠線の「おわかれ白糠線記念スタンプ」だったのだ。

おわかれ白糠線記念スタンプ

おわかれ白糠線記念スタンプ

1983年ということは北海道の数多くある廃止路線の中でも結構初期のものの一つだ。この駅が今以上に賑わっていた証しとしてこうしたスタンプが残っていたのは本当にうれしかった。

白糠駅での時間の余裕は十分。スタンプに時間を要したものの、駅の外を散策する時間はまだまだあったのだが、貴重なものに巡り合えたことに十分満足しつつおとなしく急行まりもを待った。霧雨に濡れるのを避けたかったというのも正直なところだ。

ぼぉ~っとしていたら意外にも、その時はあっという間にやってきた。

急行まりも号第二夜のチケット

二日続けて同じ方向の同じ列車に乗るという奇妙なプランだが、決して新鮮味に欠けるということはない。昨夜は星空の下を走り出したかと思うと「瞬殺で撃沈」。そして今夜は霧雨のベールを切り裂き続けるような不思議な旅だ。全く別の列車に乗っているような錯覚すら覚える。

この珍しい感覚をもうしばらく堪能してから寝よう・・かな・・。

「あ、あれ? 明るい!」

またやってしまった。
ここ、どこだよ。ほんとうにどこなんだろう?
よくわからないままただ進んでいく列車の中で位置を確認すべく時計に目をやった。時刻はもうすぐ6時。札幌到着は昨日と同じ6:52のはずだからまだ下車の準備はしなくて大丈夫の様だ。そう安心してゆっくりと時刻表を開いて確認した。

「え~っと~、根室本線のページ、根室本線のページ・・・」と言っているさなかに、

「皆様、おはようございます。今日は8月19日金曜日、時刻はもう少しで6時です。列車は定刻通り運転しています。あと5分ほどで千歳空港に到着いたします。」との放送が流れた。

時刻表を開く前に居場所がわかってしまった。まぁそれでも残された時間をゆったりと過ごせることがわかり開放型B寝台の乗り心地をかみしめながら車窓を眺めて過ごした。

気付いた時にはすでに架線と架線柱が目に入って、非電化の石勝線を実感として味わうことはできなかったが、おそらく時刻表を必死でめくっていたあたりはまだ石勝線内だったに違いない。

列車は豊平川を渡りいよいよ札幌が近づいてきた。そして車内放送が流れ、スピードを落としながら急行まりもは札幌駅に滑り込んだ。そのころまでには荷物も整え、輪行袋の固定もほどいてデッキに立っていた。すべての乗客がここで降りるわけで、それなりに長い列ができていった。しかしドアが開くと人の列は階段の方へと流れ、僕一人だけが機関車の方へと向かっていった。

昨日は先を急いでじっくり観察できなかったこの列車を、この朝はじっくり観察できた。先頭のDD51にはまだヘッドマークが取り付けられていなかった頃だ。

急行まりもDD51

そして編成全体をいとおしむように眺めながら最後尾に向かった。じっくり眺めるとなにやら今まで見てきた14系ブルトレとは違っていることに気付く。

「あ、そうだ。この客車のドア、折戸じゃなくて引き戸なんだ。」着雪によって開かなくなってしまうことの対策としてこの方式が採用されているのだが、この時になってようやくじっくりと見ることが出来た。

急行まりも号の14系

急行まりも号の14系

写真映りは朝日が燦燦と照り付けすぎて出来映え点がかなり低いが、いつも通り「記録としては十分」レベルの写真が撮れた。急行まりもが回送されていくのをゆっくりと見送ってからとりあえず改札を出ることにした。

この後の予定はというと、夕方17時過ぎに出発する寝台特急北斗星2号に乗ることと、それまでの間に札幌市豊平にある友人宅に置かせてもらっている荷物を取りに行く以外には決まっていない。

荷物を取りに行くのは平岸台に住んでいる友人、「良一さん」が車で連れて行ってくれることになっている。そう、北海道に到着した日に少し札幌を案内してくれた超マイペースな2歳年上の友人だ。

今日の早朝に夜行列車で戻ってくることは伝えてあるものの、彼のマイペース度は簡単には崩れないことを知っている。まぁそれでも連絡してみるとするか・・・。

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