特急なは号の簡単な解説
◆ 大阪~西鹿児島を結んだ特急なは号。それまで京都~長崎・西鹿児島間の特急だった特急かもめ号を系統分離して大阪発着に変更して登場した。登場時の編成は単独での運転ではなく日豊本線経由・宮崎発着の特急日向号(特急いそかぜ号を同じタイミングで改称したもの)を併結した。全体で13両編成、1~6号車が特急日向で7~13号車が特急なはという構成だった。食堂車は特急なはの9号車にあり、グリーン車はそれぞれに1両ずつ備わっていた。
1970年10月改正時には鹿児島本線全線電化完成ゆえに電車化されてもおかしくなかったが、上記の併結の関係で見送られて気動車を維持。1973年10月改正まで持ち越された。晴れて485系化された際には11両編成食堂車1両とグリーン車2両という立派な編成に成長した。
1975年3月には山陽新幹線全線開業により山陽本線の昼行特急が役目を終える中、夜行列車へと変貌を遂げて583系化。寝台特急なは号として第二章を歩み始めた。
「なは」の愛称は、琉球新報社と那覇市が1967年当時、『本土に沖縄の名が付く列車を走らせよう!』をスローガンに列車名を公募したものだ。最終的にはブルートレインとなって寝台特急あかつき号とともに関西の寝台特急最後の砦となるなど、興味深い歴史をたどっている。
※画像提供:Amanogawa_exp様
特急なは号のデータファイル
【登場時:1968年10月1日】 運転区間:大阪~西鹿児島(鹿児島本線経由)
使用車両:キハ82系(7両・特急ひゅうが6両併結)
【1973年10月1日】485系化。食1・G2を含む11両編成。
【1975年3月9日】昼行列車としてのラストラン。翌日から寝台特急なは号へ。