急行八甲田号の簡単な解説
◆上野~青森を東北本線経由で結ぶ客車急行として1961年10月~1993年12月ダイヤ改正まで活躍した。すでに活躍していた夜行急行北上号が寝台急行となったのを受けて、座席利用者のニーズにこたえるための言わば補完列車として登場したが、首都圏の発着時刻が真昼で仙台~青森間が夜行列車の本領発揮というような時刻設定の、風変わりな列車だった。一時は2往復となったこともあったが、1970年10月ダイヤ改正で特急はつかりに吸収され、1往復に戻った。
牽引した機関車を振り返ると、EF57,ED71,C60などの時代からEF58,ED75、そしてEF65PFへと変遷をたどっている。客車は1979年4月に旧型客車から12系客車に変更され、さらに1982年11月からは14系客車化された。
時間帯に大きな調整が加えられたのは1985年3月のダイヤ改正時で、東北新幹線上野開業に合わせて急行十和田号(上野~青森:常磐線経由)が廃止されたことが主な理由である。事実、この改正以前の急行十和田号の「仙台~青森」間のスジをほぼ踏襲して、八甲田号の時刻が設定しなおされた。これにより、首都圏からの利便性が大いに向上し、意外なほど延命が実現した。
1980年代後半にはMOTOトレインとして寝台車も連結してバイクを輸送する列車を企画していたようで、ライダーの方々に重宝されたようだが、1991年に東北新幹線が東京まで開通した後にはニーズの変化に勝てず、2年半の後に廃止(臨時列車化)された。
急行八甲田号のデータファイル(未完成)
【登場時:1961年10月1日】運転区間:上野~青森
・ 使用車両:(両)
【】
【1979年4月】12系客車に変更
【1982年11月15日】14系客車化
【1985年3月】
【】
【1988年夏】MOTOトレイン併結運転。
◆1975/3
オユ10-ワサフ8000-スハフ42-スロ62-スハ43-スハ43-スハ43-ナハ11-ナハ11-スハ43-スハフ42-スハネ16-スハフ42
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