急行白兎号の簡単な解説
◆ 京都から山陰本線を北上して日本海側と結ぶ急行列車。設定当初は京都~松江の準急だったが、1961年10月に急行に格上げされ、最終的には京都~鳥取の急行プラス普通区間という設定となった。愛称を新設の特急に召し上げられ、同時に列車そのものは特急あさしおに格上げ統合される形で1986年11月改正で消滅した。
準急時代=SL+客車で、急行格上げと同時にキハ58系(8両編成)化された。気動車化によってフレキシブルな運用が可能になったことから大阪発着の編成を新設し、福知山駅での分割・併合を実施する列車として急行白兎はスタートしている。特急が存在しなかったことから順調に成長し、改正のたびに両数を増やしていき12両編成がホームの端からはみ出るほどだったという。
1968年には大阪発着編成を急行だいせんとして分離し京都編成のみになったものの、7両から10両にまた拡大し、1970年10月には運転区間が出雲市まで延長されてこの時がもっとも輝いた時期だった。
斜陽期の始まりとなったのはやはり特急あさしお号が登場した1972年10月改正だろう。運転区間は変わらなかったが急行としては倉吉までとなり6両編成に短縮されて急激に地味な存在になってきた。なお、時を同じくして急行いなば(急行だいせんの1往復を愛称変更)との併結運転も開始された。その後は1975年に急行いなばが愛称を急行いでゆに改め、1978年からは再び単独運転の8両編成になったり幾らかの微調整はあったものの1986年10月31日の最終運転まで細々と走り続けた。
さて、急行白兎号と特急スーパーはくと号の関係性だが、かなり薄いと言わざるを得ない。京都と山陰を結んでいるという一致点はあるものの、山陽本線の姫路・上郡を経由して智頭急行線を北上するルートは沿線需要という点ではほぼ一致する点は無いに等しく、イメージで重なる部分もほとんどない。
急行白兎号のデータファイル
【1956年11月19日】準急白兎として登場。C57が旧型客車を牽引していた。
【1961年10月1日】運転区間:京都・大阪~松江 1往復
使用車両:キハ58系(大阪3両+京都5両=計8両)
【1968年10月1日】大阪発着を急行だいせんとして分離。単独運転に。
【1970年10月1日】運転区間を京都~出雲市に延長。
【1972年10月2日】特急あさしお号誕生に伴い編成短縮、急行いなばとの併結開始。
【1975年3月10日】併結相手の愛称が急行いでゆ号に変更。
【1978年10月2日】再び単独運転に。
【1986年10月31日】ラストラン。