寝台特急紀伊◆データファイル(2024-09) | 列車データ館
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寝台特急紀伊◆データファイル(2024-09)

非電化路線を行く寝台特急紀伊 か行
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⇒ 寝台特急紀伊号のヘッドマーク事典はこちら

寝台特急紀伊号の簡単な解説

◆ 東京~紀伊勝浦を結ぶブルートレインとして1984年まで運転していた寝台特急紀伊。東京~名古屋間では寝台特急いなば、後には寝台特急出雲2・3号と併結運転していた。のちの「富士はやぶさ」のような「複合タイプのヘッドマークが付いたらカッコよかっただろうと思うが、残念ながら「ヘッドマーク厳冬期」に生きたこの列車には公式ヘッドマークは存在しなかった。

文字テールマーク時代の寝台特急紀伊・東京駅にて

文字テールマーク時代の寝台特急紀伊・東京駅

※画像提供:Amanogawa_exp

分割・連結の作業が必要なこの紀伊・いなば(出雲)だが、名古屋駅構内での機関車付け替え作業を行っていた際に機関車が客車に突っ込むというたいへんな事故が発生してしまった印象が強い。※ 参考記事へ

東京発着の寝台特急としては最も距離が短いが、3種類の機関車の付け替えが行なわれていた。電化・非電化の区別だけでなく、亀山にてDD51・DF50の付け替えが行なわれるところが興味深く、コアなファンの注目を浴びていた。

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◆寝台特急紀伊号の画像

寝台特急紀伊には、分割併合運転が容易な分散電源方式の14系が使用された。B寝台はまだ3段式の時代であり、これが早めに2段式に変更されていればもう少し利用者が維持されていたのでは?と妄想したくもなるが、そのまま1984年という早い時期での廃止となってしまった。

 

寝台特急紀伊には公式ヘッドマークはなかったのだが、国鉄職員さんの有志によるお手製のマークが作られて掲げられたことがある。その一つがテールマークと同じコンセプトの「那智の滝」デザインで、イベントなどで時折お目にかかることができる。デザインはハマユウなど別のものもあった。なお、営業運転については1978年10月にDF50に掲げたとの記録が残っている。

下は架線下単線区間を走る単独運転の寝台特急紀伊、しかも文字テールマークの珍しい画像だ。これに該当するのは1979年6月以前の紀伊勝浦~新宮間しかないと思われる。この区間の電化開業は1978年10月だからかなりレアなものといえるだろう。

深夜の名古屋駅、乗客は寝静まった中で連結作業が行われる。当時は珍しくもなかったのか、あるいは利用者の客層が鉄道ファン率の低い状況だったのか、わざわざ起きて外に出て観察する人はわずかだった。

寝台特急紀伊号・出雲との連結待ち(1983年)

寝台特急紀伊号・出雲との連結待ち(1983年)

上り寝台特急出雲2号が名古屋駅に着いた時にはすでに隣りのホームに紀伊が到着していた。このあとどのような手順で連結作業が行なわれたのかはよく覚えていないが、すでに日付が変わり、ひっそりした中でのとても地味な連結作業だった。

上り出雲・紀伊が連結して名古屋駅を出ると、ほんのわずかな時間の後、下り出雲・紀伊とすれ違った。画像の不鮮明さは弁解の余地もないが、テールマークの鮮やかさははっきり見て取れる。

寝台特急紀伊号・まもなく名古屋到着

寝台特急紀伊号・まもなく名古屋到着

余談だが、発着点の駅名は紀伊勝浦だが、町名は那智勝浦町である。

◆寝台特急紀伊号のデータファイル

【登場時:1975年3月10日】急行紀伊からの格上げで登場。
●運転区間:東京~紀伊勝浦(612.0km)  運転本数:1往復  使用車両:14系モノクラス6両・EF58・DD51・DF50
【1978年10月2日改正】併結相手である寝台特急いなば号が寝台特急出雲3・2号となる。
【1979年6月1日】亀山以南の牽引機をDD51⇒DD51のリレーに変更。
※日付は上り4004レのもので下り4003レは後日。
【1980年10月1日改正】9/29)東京~名古屋間の牽引機関車をEF65型1000番代に変更。
【1982年3月15日事故】名古屋駅構内で、DD51機関車をつなぐ時に客車に突っ込む列車衝突事故が発生。
【1984年2月1日改正】廃止。
●運転区間:東京~紀伊勝浦(612.0km)  運転本数:1往復  使用車両:14系・EF65PF・DD51・DF50

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