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急行八ヶ岳号の簡単な解説
◆ 新宿と小海線を結ぶ行楽向けの列車だった急行八ヶ岳号は小海線初の優等列車として設定された。キハ58系2両で、中央東線の急行との併結運転。当初の1962年から1966年春までは新宿~小淵沢のみ急行(下り:急行アルプス・上り:急行上高地に併結)で、小海線内の小淵沢~小諸では準急八ヶ岳という同名・別種別の扱いだった。というのも、国鉄最高地点でもある野辺山を通る小海線の連続する急勾配は過酷で、表定速度にして40km/hほどが限界だったのだという。
甲府~上諏訪がまだ電化されていなかった1962年12月の登場だったが、1965年5月には松本までの電化が完成、10月改正では中央東線の急行の大半が電車化される流れとなった。小海線直通の急行八ヶ岳は電車化できるはずもなく、わずかに残った気動車急行とのコンビに組み替えられて存続したものの、時間帯が大きく変更されて観光に向かない列車になってしまった。
結局1975年3月改正で姿を消すことになってしまった。
急行八ヶ岳号のデータファイル
【登場時:1962年12月1日】 運転区間:新宿~小諸(小海線経由)
・ 使用車両:キハ58系2両
【1966年10月1日改正】併結相手の変更に伴い運転時間帯が大きく変わり、小海線内は普通運転で下りのみ中込行きに。
【1968年10月1日改正】往復ともに新宿~中込(小淵沢~中込間普通列車)に。
【1795年3月9日】ラストラン。