急行陸中号の簡単な解説
◆盛岡~釜石・宮古(普通列車としては久慈までもあり)を結んで活躍した気動車急行列車で、2002年12月1日改正で格下げされて快速はまゆり号にバトンタッチするまで活躍した。
ちなみに、この時のダイヤ改正でJR東日本主体で運行していた急行(定期列車)は消滅している。
1990年3月にキハ110系が投入され、約12年間にわたって新世代の急行用車両が活躍した。飛躍的に加速力が向上したおかげで、それまでのキハ58系時代より約30分の時間短縮が図られた。多くの急行列車より長く活躍できたのは、そのあたりのお得感が影響したのかもしれない。
大容量モバイルバッテリー◆ANKER◆サイズ各種初代・急行陸中
この列車愛称の始まりとなるのは1961年10月1日に急行みやぎの号の区間延長に伴って上野~(常磐線経由)~盛岡で設定、改称によって生まれた急行陸中号。この列車は1966年10月ダイヤ改正において急行みちのく号と急行三陸号へと愛称変更されてわずか5年で姿を消した。
2代・急行陸中
間髪入れずに登場した2代目急行陸中号は、同じ1966年10月1日改正で、仙台~(釜石線・山田線・花輪線経由)~秋田間に設定された。先代とはまるで別物の急行陸中号。ダイヤのスジとしてはそれまで仙台~弘前間を走っていた急行さんりく号のスジを継承したものだった。
この急行陸中は、仙台~花巻間は素直な南北ラインで東北本線を走るが、花巻~盛岡間はいきなり東西移動となり、三陸海岸に出ては戻ってくるという、現代人には到底理解できない経路で走っていた。その頃急行五葉(設定当初は準急)という列車が盛岡~花巻~釜石~宮古~盛岡という循環急行として存在したが、長距離列車の経路の一部として急行五葉のルートを含めたような、無駄だらけの設定だった。
この設定では全区間乗車する利用者はほとんどおらず、定時運行することも難しかったようで、系統分割することになったのが1972年3月。仙台~宮古間に改められ、さらに10年後の1982年には東北新幹線の開業により、北上~宮古間の新幹線連絡急行となった。そして1985年3月改正において新幹線接続駅を北上でなく盛岡にして「盛岡~宮古」としたことで、急行陸中号のほぼ最終型の姿となった。愛称消滅は2002年12月1日改正。
※画像提供:kogane-turbo様・K-office様
急行陸中のデータファイル
【登場時:1961年10月1日】運転区間:上野~常磐線経由~盛岡 (1往復)
・ 使用車両:(キハ58系5両。2両は仙台回転)
【1966年10月1日】2代目として仙台~(釜石線・山田線・花輪線経由)~秋田に設定。
【1972年3月】系統分離により仙台~宮古になる。2往復に。
【1982年11月15日】北上~宮古に変更。新幹線連絡急行となる。
【1985年3月14日】盛岡~宮古に変更。
【1986年11月1日】急行はやちね号を編入し3往復に。
【1990年3月】キハ110系投入。
【2001年12月1日】下り1本を格下げして快速はまゆり号とする。
【2002年11月30日】最終運転。すべてが快速はまゆり号へ。
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