急行越前号の簡単な解説
◆ 「越前」という列車名は途切れることなく20年以上にわたって存在したが、全く性格の異なる4つの時期が存在する列車名である。
① 大阪~金沢の急行(1962年6月10日~1963年4月20日)1年未満
② 敦賀~金沢の準急(1963年4月20日~1964年10月1日)1年5か月
③ 大阪~金沢の急行(1964年10月1日~1965年10月1日)1年
④ 上野~福井の夜行急行(1965年10月1日~1982年11月15日)17年1か月
急行(準急)越前号の各時代の詳細
① は北陸トンネル開通に合わせて設定されたキハ58系気動車急行で、客車編成が主流だったところに登場して一気に1時間ほど時間短縮を達成したヒーローだった。(4時間30分ほどになった。)その愛称の通り越前(福井県)に配慮してなのか、6両編成だったが2両は金沢~福井間を回送として走り、福井以南の着席を容易にした。
1963年4月20日は北陸本線金沢電化完成によるダイヤ改正で、①は愛称を変更して「第1加賀」となった。時を同じくして「越前」の愛称は②に転用された。愛称としては急行から準急への格下げとなる。
② は敦賀~金沢を結ぶ準急列車だった。この列車は471系を金沢に送り込む回送列車を客扱いする形で仕立てたものだったようで、当初は10両(G×2・食×2)、2年目に入ると12両という立派な編成ではあったが、「需要にこたえるための列車」とは言い難かったそうだ。
③ は北陸本線富山電化完成に伴う列車再編で元の鞘に収まる変更だった。しかし、初代とは異なり電車化された姿だった。しかし再び列車名を加賀に改めることになり、愛称は間を置かずに④へ。
④ はすっかり活躍の場を移し、上野~福井を信越本線経由で結ぶ夜行急行となった。編成はA寝台・B寝台・G・普と様々な需要にこたえながら安定した活躍を続けていった。利用も安定していたが、1982年11月改正時に運転区間の短縮で金沢までとなり、福井に到達しない急行越前は急行能登に後を託した。
急行越前~④~データファイル
【登場時:1965年10月1日】運転区間:上野~福井 (1往復)
・ 使用車両:(両)~
【1968年10月1日】1両減の上で荷物車追加。総両数は維持。
【】
【1982年11月15日】ラストラン。下りは金沢止まり。
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