鉄道旅行記

【1988年8月15日】名寄駅・そして名寄本線3時間の旅

明るい名寄駅でのひととき

629Dが出発するまでまだ約50分。
時間つぶしのため改札を出てみたが、名寄駅は昨夜2時台とはまるで違う雰囲気だった。

あの深夜2時の景色はもしかして幻想?
あのとき僕は本当に雪見だいふくを自販機で買って食べたのだろうか、
大胆にも全く見知らぬ人に両替をお願いしたりしたのだろうか?
なんて、思えるほど、全然違う場所のような感じがしてならなかった。

ところで、名寄駅のベンチでぼんやりしていた僕の目に、妙な看板が映った。
それは自信たっぷりに、まったく根拠のない主張をする看板、
「ラーメンは北へ行くほどうまい!」というラーメン屋さんの看板だった。

言ってみれば、日本中のほとんどの場所よりはうまいラーメンだが、
稚内のラーメン屋にはちょっと勝てないという敗北宣言・・・なわけないか。

いずれにしても、インパクトだけはかなり強烈だった。

さて、時間を持て余した僕は、駅前にある名寄ストアという店に入り、
ミルクキャラメルとNOISEというお菓子を買ってきた。
待合室でそれをバリバリと食べつくし、牛乳を飲んで時を過ごした。

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名寄本線629Dの改札開始

待っていた利用者は数名だったが、僕が予想していたより多かった。

名寄駅の改札を抜け、ホームに入った僕は自転車の輪行袋を迎えに左の方へと歩を進めた。
何事もなかったかのように柱からほどき、肩にかけて、跨線橋の向こうの名寄本線ホームに直行。

そのホームでガラガラとエンジンを響かせながら出発の時を待つ629D。
今日の担当はキハ22-237。

名寄本線の629D遠軽行きそれにしてもここで、タブレットを見るとは!
もちろん、ビタミン剤の粒のことを言っているわけではない。
ましてや昭和の時代にipadのわけもない。

昔はローカル線の単線区間ならどこででも見られた道具、
とはいえ鉄道の近代化に伴って急速に姿を消していった、鉄道遺産だ。
こうして、あらためて「正統派ローカル線」であることを認識し、車内へ。

そして、木造の床を軽快な靴音を響かせながら歩き、
4人がけボックスシートに輪行袋の自転車をもって場所を確保した。
自分のすぐそばに輪行袋を置いておけることにちょっと喜びを感じた。

時刻は夕方5時を回ったところ。出発まではあと少しある。
真夏だから暗くなってくるにはまだまだ早い時刻だ。

時間を持て余すように、僕はもう一度外に出て車両を眺めた。

いよいよ始まる名寄本線3時間の旅

名寄本線629D出発時刻が近づき、扉がガラガラと音を立てて閉まった。
その瞬間、すごく懐かしいものを僕は目にした。

さっきまで扉が戸袋に入っていた時には気づかなかったのだが、
扉の窓に「手で開けてください」 という文字が。

あれは6年前、初めて特急に乗って旅をした石川県への旅の続き。
金沢駅で七尾線に乗換えた時のキハ20系の扉にあった文字だ。

誰が書いたのかわからない(いや国鉄職員だ)手書きの文字。
なつかしさが一気に込み上げてきた瞬間だった。

629D出発

17:15分、名寄本線629Dがキハ22一両きりで名寄駅を出発した。

ここから始まる名寄本線は興部駅までの約70kmにわたりひたすら東進。
そしてオホーツク海沿岸に出てからは海沿いを下るようにして紋別駅、
サロマ湖北端の街、中湧別駅へと進む路線だ。

この日の629Dは32人の乗客を乗せてスタートした。
改札開始時には数名だったのにあれよあれよと人数が増えてきて、
ローカル線にしてはかなりいい感じでのスタートだと思った。

ところで、名寄駅を出てから5分ほど経過すると、
シロツメクサと思われる花が一面に咲いている草原があり、もう町から離れた雰囲気だ。

やがて向こうの道路が近づき、併走するようになった頃に中名寄駅に着いた。
中名寄駅は白く塗られたプレハブ作りの駅舎が田舎らしい雰囲気で素敵だ。
こじんまりしてはいるが、上下線が分かれて列車交換ができる駅だ。

そうして中名寄駅を出ると今度はレンゲ畑、ジャガイモ畑・・・またレンゲ畑。
家はまばらにしかなくてとてものどかな風景の中を走っていると、
先ほどからの幹線道路が近づいたり離れたりを繰り返していく。

そうしているうちに上名寄駅に到着した。
上名寄駅も上り線と下り線が別れていて列車交換ができる駅だ。
しかも、ここは上下線のいずれにも駅舎(片方は待合室か?)がある。
上り側はプレハブ造り、下り側は木造の建物だった。
この駅までは都市から離れていないからか、それなりに駅らしい駅だ。

しかし、この先にちょっとビックリな、初めて見る光景が続くのである。
名寄本線は北の大地の偉大なるローカル線だ。
629Dはそこを進み、名寄市郊外へとどんどん離れていく。

さて、交換設備と駅舎を持つ上名寄駅を出て線路際の家を数件見送ると、
目の前に一気に緑のじゅうたんが広がった。
風になびくその一面の緑が大きく波立つ景色がとても綺麗だった。
この辺りからは北海道ならではの広大な農地が広がる。きっとジャガイモ畑だ。

ポツリポツリと家が建っており、真っ黒なビニールハウスがある。
629Dはやがて少しずつスピードを落とし始めた。

17:30過ぎ。時刻表を見る限りではそろそろ矢文駅に到着する頃なのだが、
駅らしいものは全く見えてこない。気動車はますますスピードダウン。

え・・・。えぇ?。
板をフラットに敷いて並べた広めの作業台のようなものの隣りに、
ついに停車してしまった。車両の長さピッタリの木の台。

百歩譲ってウッドデッキの様と言えなくもないが、これが矢文駅?これ駅?
本気で疑ってしまうような「駅」の姿だった。
でもよく見ると電柱のようなものが立っていて、錆び付いた駅名標がある。
そして青地に白文字で「やぶみ」と書かれていた。
その電柱の上の方に裸電球が光っている、そんな駅だった。

カルチャーショックというか、ビックリ新発見の矢文駅を出て、
629D単行気動車はさらに進み始めた。
駅の周りもそうだったが、景色は畑と黒いビニールハウスのオンパレード、
目を上げると鳶のような鳥と鳩が飛んでいるのが見える。

北の大地の8月は17:30ではまだまだ明るい。
僕は引続きこの土地ならではの景色を堪能しながら旅を続けていった。
名寄本線矢文駅からさらに東へと進む道中、空が先程よりも明るくなった。

曇天でさっきまではちょっと薄暗かった空が急速に晴れてきたのだ。
こうなれば、今夜は星が見える所で夜を過ごしたいなぁなんて思いが頭をよぎる。
たとえば中湧別駅で降りて、駅舎内で泊まれたらいいなと妄想も膨らむ。

ウッドデッキの矢文駅からわずか3分で次の駅、岐阜橋駅に着いた。
さっきのカルチャーショックがあったからそれほど驚かなかったが、
矢文駅に負けず劣らず小さなウッドデッキの駅だった。
いや、こちらの方がさらにひとまわり小さいホームのようだ。

なぜなら車両一両がホームに納まらないため、
車内放送が「後ろの扉からお降り下さい」と伝えるほどなのだから。

さて、岐阜橋駅を出発する頃までには雲がすっかり消えて、
遠くの山にほんのちょっとだけ引っかかっているのが最後の雲という状態に。
ますます夜の天体観測の希望が現実味を帯びてきた。

相変わらず、ジャガイモ畑と休閑地の草原の景色だったが、
幹線道路が再び近づいてきて、レストランがあるのが見えた。
まさか「牛さん、羊さんようこそ!」と言うわけではないだろうけど、
お客さんが来るのだろうかと、どうでも良い心配をしてしまった。

しばらく走ったころ、車窓の風景は徐々に民家が多くなってきた。
僕の視界に学校らしきものとテニスコートのようなものが映り、
ちょっと開けた町が近づいてきたことが手に取るようにわかった。
こうして到着したのが下川駅だ。

下川駅。ここから先が正真正銘のローカル線だ!

予想外だったのは、この下川駅で乗客の4分の3が降りてしまったこと。
629D車内に残された乗客はわずか8人。
この遠軽行きの列車の全走行距離のうちたった12%しか
走破していないこの時点で利用率がここまで落ち込むとは!

この下川駅で上り名寄行きの652Dと交換した。
そのため少しの停車時間を活用して駅の周辺の景色を車内から眺めた。
駅のすぐ際の土地に丸太がドドーンと山のように積んであり、
木くずの山も所々にあるのが見えた。
とにかくここは木を用いた産業が盛んな所らしく、それなりに栄えていた。

余談だが、僕がこの日に乗っていたキハ22 237は名寄本線の
廃止とともに、ここ下川駅で静態保存されたらしい。

さて、左手に見える下川駅舎を見送るように629D列車は走り出した。
ここから列車はさっきまでよりもスピードを上げたような感じがした。
それは乗客がすっかり減って1トン以上の荷重が取り除かれたからかな?

軽やかに並木の間を駆け抜け、とうきび畑、ジャガイモ畑を
横目に見ながらのほのぼのとした風景が続く。

そうして到着した二ノ橋駅は予想通り小さな駅で、
大きさでは先ほどの下川駅とはまったく比較にもならなかったが、
プランターに植えられたマリーゴールドと思われる可愛い花が心を和ませ、
地域の人たちの温かい心が感じられた。

それにしてもすっかり田舎の風景に戻った名寄本線。
小さな駅たちが夕暮れのあかね色に染まりながら僕を迎えてくれる。

次の幸成駅では、赤とんぼが柵の上にとまったり飛んだりを繰り返す。
なんだか、早く訪れた夏の終わりを感じさせるような光景だった。
サイロや広々とした畑が広がったり、時折エゾ松らしき木々の
森が現れる路線を走り、東へ東へとさらにどんどん進む。

そして集落に入るようにして到着したのは一ノ橋駅。
結構立派な駅舎があり、トイレには「便所1号」という文字が書かれていた。
いったい何号まで存在したの?というつっこみは胸の中にそっとしまっておいた。

ローカル線の鈍行の旅は本当に面白い。
特急で次々と通過する旅では見えない風景が脳裏に焼き付いて印象に残る。

上興部駅は何の変哲もないトタン屋根の木造駅。典型的な田舎の駅だ。
それでも恐らく20Wくらいしかない薄暗い電球に照らされた駅名標は、
筆書きのようで風情たっぷり。前言撤回、貴重な田舎駅だ。

さて、旅の記録を見る限り、このあたりからは風景の記録が曖昧になっている。
それもそのはず、もう夕方6時を回り、風景を見るにはかなり暗い。
でもその分、駅に着くとその印象をちょこちょこ書き留めている。

次の駅は西興部駅。
下川駅ほどではないが、丸太や木くずの山が駅のすぐそばの、
ちょっと広い土地に積み上げられていてフォークリフトが暗い中働いている。
いくらか町が近づいてきたのだろうか。

そう思ったが、また列車が動き出すとのどかな景色へと変わる。

そして、六興駅。
またここに、板敷ホームだけの駅が登場。
ふと時刻表を見ると、営業キロ数が書かれていない。どういうことだろう?
最初から降りる人をあまり想定していないということだろうか。

列車は徐々に山の中に入り込んでいく感じがした。
先ほどまでの、草原やジャガイモ畑のような景色とは明らかに違った雰囲気。
夕暮れのほの暗さが、一気に夜になったかのような感じがした。

でも、そんな線路のカーブの先を見つめていると、 列車用の信号機が見えた。

中興部駅。 18:27着列車交換18:32発。

中興部駅のスタンプ
まさに山の中の秘境駅という感じ。
(暗さも手伝ってそう感じるのだろうけど。)
上下の各ホームが千鳥配置で各ホームの端と端が線路上の通路で結ばれている。
そこを渡るとき、上り名寄行き656D列車との交換で車両の目の前を通った。

車両はキハ40 230。この上り列車が先に出発する。
僕の乗ってきた629Dはまだ時間があるので駅のスタンプと下車印へ。
改札の左側手前にはポイント切り替えの手動のレバーが4台並んでいた。
「こんな光景、近々消えるんやろなぁ」と思いながらそれを 見つめ感傷に浸った。

そうしている間に上り列車が出発。
そして僕が乗る629Dが1分後、5分停車の末に出発した。

名寄本線を東へ東へと進んできた629Dの旅も、
あと少しでオホーツク海沿いに出る。
今度は南東方向へとまっすぐ進むことになるが、その興部まではあと少しだ。

【中興部駅・補足】
この駅の駅名標を見ると名寄側の矢印に沿って「西興部」と表示されている。
「あれ、さっき停まった六興駅がない!」
それだけでなく紋別方面の表記も「宇津」となっている。

「あ、時刻表に載っている班渓駅がない!!」 というように、
時刻表には載っているものの正式な駅でない? という駅がいくつか存在した。

さて、629Dは中興部駅を18:32に出発した。
下り坂の線路上を軽快に走っていくキハ22単行気動車。
薄暗くなってきた沿線の農場に乳牛たちの姿が浮かび、 後方へと流れていく。

どんどん暗くなり駅ごとの個性が見分けにくくなる中、班渓駅・宇津駅・北興駅と、
木造のさびれた駅が続く。(と、ひとからげにするのがつらいが。)

目に入ったのは大きな牛舎と河原牧場という文字。
そうしてやがて民家が急に増えてきて、開けた街に入った。
駅とその周辺の街明かりが僕らを招いている様だった。

興部駅。再びオホーツク沿いを進む

ついにオホーツク海沿岸の町、興部駅に到着したのだ。
町の中心駅の割に、たった1分の停車で慌ただしかったが、

何とか下車印とスタンプを確保することができた。
興部駅を出発した629Dは引き続きエンジン音を響かせて進んだ。

旭ヶ丘駅を過ぎたころようやく、7時間ぶりに海を見ることができた。
その海と線路との間は草原になっていて一本の大きな木があった。
それは何となく小学校の国語の教科書に載っていたお話、
「片足ダチョウのエルフ」を思い出させるような木だった。

とっぷりと暮れてきた夕空にこの日最初の星が見えた。
季節と方角からして、こと座の1等星ベガに違いない。
このベガを含む夏の大三角形もたどって見えてきた。

そんな風に星探しに夢中になっているうちに海に近づいてきた。
暗くなった景色の中だが、砂浜が続いているのがわかった。
そうして沙留駅に到着した。

漢字で大きく筆書きのような書体の駅名標が印象的だった。
駅は木造のごく普通の田舎駅だが、駅前には商店街まであり、
恐らく夏の海水浴シーズンには栄える、そんな街なのだろうか。

そんな沙留駅をゆっくり後にした629Dはひたすら遠軽駅を目指す。
再び視界に入った海には灯台の赤い光が見える。

さて、沙留駅を出て間もなく19:10分になった。
それはつまり僕が降りようと考えている中湧別駅まであと1時間。
まだまだ時間があるようでいて結構緊張感が増した瞬間だった。

徐々に今夜から明日にかけての予定が気になり始めたのだが、
それは、明日の朝9時には網走駅に到着していなければならず、
中湧別駅から網走駅までもし80キロあるとしたら時速20キロでも4時間。
もし中湧別駅で野宿した場合、少なくとも5時出発か・・・。

その距離がすごく気になり、車掌さんに尋ねてみた。
「すみません。中湧別駅から網走駅まで何キロくらいですか?」
「あ~、そうだねぇ~。70キロくらいかなぁ。」
「そうですか!ありがとうございました!。」
というわけで、予想の80キロより10キロくらい短いらしい!と、
気持ちがずいぶん楽になって再び車窓を眺めた。

その間に列車は富岡駅を通過し、渚滑駅、潮見町駅に停まった。
そして、そこからわずか2分で紋別駅に到着した。

到着前に目に入ったパチンコ屋さんのネオンがきらびやかで、
見た目の印象だが、この名寄本線に入って最も大きな町のようだ。

名寄本線629Dが最も長い時間停車するのがここ、紋別駅。
ただ大きな町だという理由で長い時間停まるのかと思ったが、
実はそうではなかったようだ。

紋別駅スタンプ「流氷」というのも、ここまでずっと単行でやってきた629Dに、後ろからやってきた(同じくキハ22)気動車が増結されたからだ。
その様子を楽しみ、いつものように下車印とスタンプを求めて改札を出たのだが、この駅のスタンプはなかなか良かった。

「氷の芸術 流氷の町  名寄本線紋別駅」というフレーズはオホーツク海に面した選ばれし幾つかの駅にだけ許されるものと言えるだろう。

ただ、残念だったのはスタンプ台がカスカスになっていて、
非常に写りが悪かったことだ。本当に残念。

紋別駅での8分の停車の後、19:32に629Dは列車として出発した。
今度はキハ22 237&224というコンビで。

乗客はかなり少なかったが、1両目では子供がはしゃいでいた。
それで2両目の方に移動してみると中学生の女の子が一人。

この車両には車掌さんと僕とその子だけだった。
しばらくしてふと見てみると車掌さんがお弁当を食べていた。
するとたまたま車掌さんと目が合ってお互いにニッコリ。

さようなら湧網号オレンジカードその車掌さんがしばらくして僕に近づいてきた。
「記念オレンジカード、どうですか?」
それはさようなら湧網号という湧網線お別れ記念列車のもの。
僕は思わず手が伸びて買ってしまった。

その後も車掌さんはニコニコしながらいろいろ話してくれた。
真っ暗になった景色はいつの間にかどんどん流れていき、
ついに20:10。中湧別駅に到着した。

車掌さんは「自転車、気を付けてね!」と声をかけてくれた。
中湧別駅スタンプ最後の1時間はやっぱりあっという間だった。

でも、北のローカル線・名寄本線の旅は約3時間とは思えないほど充実した時間だった。

名寄駅から延々と約3時間乗ってきた629Dは中湧別で僕を降ろして遠軽に向けて出発。
僕は名残惜しいなぁという思いと、目の前に立ちはだかる距離のプレッシャーから何だか複雑な思いを抱えたまま中湧別駅の改札を出た。

さて、ここで野宿をするか、今から走り出すか、どっちにしたらいいだろう?時刻は午後8時を回ったところである。

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