前頁⇒【1988年8月20日】「青森駅、そしてモーニング」寝台特急北斗星の旅~その4
貧乏少年モードに戻って続く旅
一夜の走るホテルの旅はやはり僕にとって特別なものだった。夕食が予約制のディナーでなくても、「北斗星に乗った」ということ自体が貴重な体験だったし、味付け海苔とともにいただいたライスの味も忘れられないものになった。熱い思いを抱えながら、僕は自転車を担いで宇都宮駅のホームに降り立ち「北斗星2号」をもう一度穴が開くほどみつめた。そして北斗星のエンブレム、JR北海道車のこのエンブレムを眺めて、オリエント急行にも勝るとも劣らないなぁと改めて満たされた気持ちで列車を見送った。言うまでもないことだが、オリエント急行に乗ったことなどない。単なるイメージである。
真昼の東北本線
さて、僕はここから小山駅に向かう。それは群馬県前橋市に住む天文気象部時代のS先輩の家に行くため、両毛線に乗りたいからだ。時刻表で8時14分上野行きの列車があることを確認し、ホームに向かった。すると、8時11分発の列車を案内表示していた。不思議に思って、駅員さんに尋ねると、この日はカートレイン北海道の運転日で、その際には時刻が微調整されるようになっているらしい。それで僕は急いでその列車に乗り込んで小山に向かった。ここからの駅の数はわずか5つ、そして約30分の短い旅だ。 東北本線は新幹線と並走したり(というか上下だが)してなかなか楽しい路線だ。昨夜の夜行列車の旅と同じ路線の続きとは思えない。また違った味わいを楽しんでいる。 新幹線高架のやや西側を走っていたが、石橋駅を過ぎて少ししたところで東側に移った。窓の外を眺めながら何かすれ違わないかなぁと思っていたら、なんとサロンエクスプレス東京がすれ違った。思いがけない大物との遭遇に、またテンションが一気に上がった。
そんなワクワクを胸に、小山駅に到着した。
お世話になったS先輩の元へ・・・
ここからはS先輩の所を訪ねるべく、北関東移動旅となる。ここまでの僕の旅を支えてきた北海道ワイド周遊券はこの両毛線をカバーしていない。お金はもうほぼない状態。しかし心配はいらない。なぜなら北海道の旅の途中で何枚かのオレンジカードを衝動買いしていたからだ。衝動買いが役に立った話はあまり聞かないが、このたびは役に立ったというわけだ。
とにもかくにも、先輩の家の最寄り駅が前橋駅なので小山⇒前橋の切符を購入することにした。そうして両毛線のホームに向かったが、やたらと遠かった印象が残っている。階段を降りるときに輪行袋が肩に食い込む感じが旅の終盤の疲労を物語っている。
僕はホームの先端まで行って先頭車両の一番前に陣取った。列車は442M、9時11分発の列車だがまだ10分以上時間がある。ホーム上で遠くに見える貨物列車を眺めたり、これから乗る車両の車番をしっかり記録した。クハ115‐1015。
9時11分になり、列車の扉が閉まりガクンと揺れた。車窓に町の景色が流れ、スピードに乗ってくると思川の橋を渡りだした。その向こうは・・・。
何と、広がる田園地帯が視界いっぱいにあり、まだ北海道にいるんじゃないか?と錯覚するほど自然が豊かだった。心地よいレールのジョイント音と旅の疲れで記憶はうっすらとしたものしかないが、やがて足利駅までやってきた。足利からは単線になる。ここから桐生までの間は渡良瀬川と並行するように進む。つまり群馬県との県境に沿って、言い換えれば「手に届きそうな群馬県」を眺めるようにして進んでいく。でも途中でついに県境を越え、群馬県となり桐生駅に到着した。
ここからは再び複線になる。いかにも「足利~桐生」の県をまたいだ移動は多くないことを物語るかのようだ。真新しい高架の桐生駅を出発するとしばらくしてまた地に足付けた路線となり、伊勢崎を過ぎ、やがて再び高架になった。コンクリートの車窓を眺め、前面展望を楽しんでいると前橋駅に到着した。
駅に着いたらする「アレ」・・・あれ?
輪行袋を担ぎ、カバンをもう片方の肩にかけてホームの階段をゆっくりと降りた。そして駅に着いたらやりたい一つ目のこと、つまり駅スタンプを押した。それからもう一つは「周遊券に下車印を押してもらう」こと。よく考えたら周遊ルート外のここ、前橋駅で押してもらうのは適切ではなかったと後で気付いたのだが、この時はとにかく押してもらう一心で周遊券を取り出そうとしていた。
ところがだ。入っているはずの所に入っていない。思い当たるカバンのポケットなどを見ても見つからない。「アレ」をするつもりだったのが、あれ?あれ?と焦る気持ちいっぱいの時間になった。
まぁ、そんなことをやっていても仕方ないので、小山から前橋までの切符を取り出して改札を出、S先輩に到着の連絡をした。「おぅ、そうか。じゃ、今から自転車で行くから。」と、懐かしい声がした。自転車で来られるのだからこちらも自転車を組み立てて準備しなければ!ということで、根室標津駅以来閉じ込めたままになっていた自転車を形にして、先輩の到着を待った。
もう一度ポケットや財布やカバンを順番に調べてきっぷを探しているうちに先輩は到着し、「よっ!」と声をかけてくれた。わずか4か月ぶりの再会だったが懐かしさが込み上げてきた。
先輩が「荷物、持ってやろうか」と言ってくれたので、輪行袋から出てきた丸めた筒状のポスターをお願いした。そして僕の重いカバンを見てから「自転車のタイヤが可哀そうやな」と笑いながらつぶやいた。