臨時特急あさま銀嶺号の簡単な解説
◆ 上野~長野・妙高高原・関山を結んで運転されていたスキー客向けの臨時特急あさま銀嶺号。1972年~75年に運転された。全席指定だったところが本家の特急あさま号との違い。
後の急行シュプール信越のルーツといえるかもしれないが、こちらは特急として運転された。なお、設定初年度には同じ上野~関山に急行妙高銀嶺号(昼行)、急行妙高スキー号(夜行)も並行して運転されていた。さらに急行信州銀嶺号(夜行)は上野~長野(・湯田中)で1973年春まで2シーズン並行して運転された。
臨時特急あさま銀嶺号のデータファイル
【登場:1972年1月14日。~3月13日】
・・運転区間:上野~長野(1)・関山(1) 181系8両(G2)
【1972年12月22日~73年3月20日】上り1本増
【1973年12月21日~74年3月18日】3往復(うち下1のみ妙高高原行き。他は長野)
・・・489系12両投入(G2)はこの段階かまたは次シーズンから。
【1974年12月20日~1975年3月3日】
以上をもって終了。
489系での編成は
1号車から
クハ489
モハ488
モハ489
サロ489
サロ489
サシ489
モハ488
モハ489
サハ489
モハ488
モハ489
クハ489