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シティ電車へと移行した1980年代

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シティ電車の簡単な解説

◆ 都市圏において高頻度・等間隔運転を確立するシティ電車の試みが国鉄末期に進んだ。多くのエリアでは命名やヘッドマーク取り付けなどのPR活動も盛んだった。もっとも、中には非電化区間もあり、必ずしも「電車」ではなかったようだが、利便性の向上から集客向上という流れは共通していたようだ。

エリア4ごとのシティ電車化の流れ

札幌エリア 1984~

1984年12月改正で函館本線の札幌~手稲を15~20分間隔、札幌~江別を30分間隔、千歳線の札幌~千歳空港(現:南千歳)間を30分間隔に増発。車両は711系を使用しくる来る電車 ポプラ号と命名した。車体塗装とアコモ改造も行った。1986年11月改正では札幌~手稲が10分間隔に。又、札沼線も30分間隔となった(当時は非電化)。

仙台エリア 1985~

1985年3月改正で東北本線の仙台~岩沼を20分間隔、仙台~松島を30分間隔に設定。車両は急行形の451系・453系・455系・457系と、417系、583系から改造された715系1000番代を投入し、「グリーンライナー」と命名。その名の通り、グリーンのラインを巻いた塗装の車両を基本的に使用。1986年11月改正では仙台~岩沼が15分間隔に、常磐線・仙山線も30~60分間隔とした。

新潟エリア 1985~

1985年3月改正で、信越本線の新潟~新津と越後線の新潟~内野を30分間隔、白新線の新潟~豊栄を40分間隔とし、「ハロー電車」と命名。車両は115系を中心に、信越線と白新線では気動車も使用した。1986年11月改正では越後線が20分間隔、白新線が30分間隔として頻度を高めた。

長野エリア 1985~

1985年3月改正で、信越本線の長野~上田 (現:しなの鉄道区間を含む)を30~40分間隔に増発し、「エコー電車」と命名。車両は115系3両編成。戸倉または上田での特急接続を良くし、東京方面への利便性向上を図った。

静岡エリア 1984~

1984年2月改正で、東海道本線の興津~静岡~島田の折り返し列車を15分間隔に増発、車両は111系・113系の4両編成でするがシャトルと命名した。また、浜松~豊橋 でも30分間隔で設定した。1986年11月改正では興津~島田 が10分間隔に、三島~興津 と島田~浜松 が20分間隔となり、「するがシャトル」に119系を飯田線から転用、投入した。

北陸エリア 1985~

1985年3月改正で、北陸本線の金沢~小松 と富山~高岡 (現:あいの風とやま鉄道)の普通列車をそれぞれ30分間隔に増発し、TOWNとれいん北陸と命名。車両は583系から改造の419系を投入し、急行形の457系・471系・475系も使用。

岡山エリア 1984~

1984年2月改正で山陽本線の岡山~糸崎 を20分間隔とし、1985年3月改正では岡山~瀬戸 も30分間隔に増発。115系を使用して「さい来る電車」と命名した。1986年11月改正では糸崎方面が15分間隔となり、赤穂線・伯備線が30分間隔に。

広島エリア 1982~

1982年11月改正で山陽本線の広島~大野浦・岩国 を15分間隔としてひろしまシティ電車と命名した。車両は111系・115系を使用し、新たに投入した115系3000番代は片側2扉構造で、扉間の座席を転換式クロスシートとしたタイプ。1984年2月改正では山陽本線の広島~西条 と呉線の広島~呉を30分間隔とし、さらに1986年11月改正では広島~岩国を10分間隔とした。

高松エリア 1985~

1985年3月改正で、予讃本線の高松~多度津で快速・普通を増発。快速は急行とあわせて20分間隔とした。非電化だったため当時は気動車や客車を使用した。

福岡エリア 1984~

1984年2月改正で、鹿児島本線の小倉~折尾、福間~博多を15分間隔(快速は60分間隔)、日豊本線の小倉~新田原を30分間隔に設定して「マイタウン電車」と命名。1986年11月改正では小倉~博多 15分間隔、博多~久留米 を30分間隔とした。また、日豊本線は20分間隔となった。車両は415系・421系・423系などが使用され、ステンレス車体の415系1500番台を新製投入した。このほか、当時非電化の篠栗線・筑豊本線(現在の福北ゆたか線)博多~新飯塚 で30分間隔とした。

上記以外のエリア

1986年11月改正では、盛岡・秋田・山形・福島・宇都宮・和歌山・下関・高知・徳島・熊本・大分・鹿児島などの各エリアでも30~60分間隔のダイヤが組まれた。

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