鉄道旅行記

【1988年8月16日】網走駅前・集団野宿の夜~いざ!秘境知床へ!

網走駅前午前1時半

街灯がまばらに光るだけで静まり返った街だった。
自転車を背負って階段を上り、
改札口の前へと歩を進めた僕の前には異様な光景が。

電気もほとんど消えて、離れた外灯の灯りがかすかに照らす改札前は、
たくさんのイモムシが所狭しと並んでいるではないか。

そう。シュラフ(寝袋)に包まれた人たちが少なくとも20人は寝ていたのだ。

まぁ、考えようによっては「たくさんの同類がいる状況の方が目立たなくていい」と思い、
僕もその一角で休むことにした。

とはいえ、実際のところ僕は彼らと「同類」どころか「異質な存在」だった。
というのも、シュラフを持っていないので「野宿する人」とは思えないような姿で寝てしまったからだ。

その姿とは・・・・。

シュラフなしの野宿は凍えます

とにかく寝袋の代わりになるもの・・・ということで、
輪行袋の中に自分が入って寝ることにした。

地面のタイルの冷たさに体温を奪われないように、
いわゆるプチプチ・エアクッションのシートを敷いて、
輪行袋のファスナーも内側からきちんと閉めて寝たのである。

はっきり言って、昔の郵便車に載せられていた郵便袋の様相。

それでも自分としては「寒さをしのぐ」と「朝まで眠れる」
ということしか頭になく、十分納得しての行動だったのだ。
しかし気温は下がり、夜中に何度か寒さで目が覚めた。
でも何とか朝まで乗り切ることができたようだ。

異変・ざわつく人々・・・

気が付くと、駅の構内放送が聞こえてきた。
急行大雪号が到着する時間のようだ。

ぼーっとした頭でそんなことを考えていたのだが、
そんな時だれかの足が僕の背中に当たった気がした。

そして気づいてみると、何だか周りがざわざわしている。
輪行袋のファスナーの端からチラッと外を見てみると、
人々に取り囲まれているようにも見える。

「何や何や?」

僕はとっさに、「この袋の中身は人間ですよ!」と
アピールするためにもぞもぞと動いて見せた。

そして輪行袋に入ったまま、まさにイモムシのように1mほど移動し、
ファスナーをあけて外に出てきた。

「周りの人たちは何て思うだろう・・・・」

そんな心配をしながら脱皮した僕だったが、意外にもこっちを見ていた人は2,3人。

「およ?」

なぜなら僕がいた場所は駅蕎麦屋さんのカウンター前。

つまり僕を取り囲んでいたわけではなく、“邪魔な荷物”をよけるようにして
お蕎麦のカウンターに並んでいただけの人々だったからだ。

あの昨夜の薄明かりの中では気づかなかったが、
まるで僕のために空いていたスペースと思われた所は皆が避けたスペースだった。

この時すでに、周りのイモムシさんたちはみんな蝶になって飛び立ち、
網走駅はすっかり「鉄道の駅」の姿になっていた。

そしてすっかり体が冷え切っていた僕は、暖を求めてさっきの駅蕎麦屋さんに並んだ。
最低気温13度の野宿。

そして冷え切った体をあったかい駅そばが癒してくれた後、
それまで自分が包まれて寝ていた輪行袋に自転車を詰めることにした。

知床を目指す前の時間つぶしは・・・

昨晩の中湧別駅で気付いた通り6ミリのアーレンキーがなくなり、
5.5ミリという(これ使うことあるんかいな?と以前思っていた)中途半端な
サイズのアーレンキーが予想外に活躍してなんとか輪行準備が整った。

駅そばで温まった手で、作業そのものは順調に進んだ。
さて、僕がこの後乗る予定の列車は釧網本線627D 9時16発。
発車まではまだ2時間以上。「時間の余裕がある」なんてもんじゃない。

持て余した時間をどうしようか?
「そうだ!なくしたアーレンキーを買えないかな?」
と思い立ち、駅前を歩いてみることにした。

歩き始めてわずか数分。 淡い期待はオホーツク海の藻屑と消えた。
北の地方都市の朝7時台にお店が開いているはずもなく、見事なシャッター通り。

でも、その途中にきれいな公園があったのでそこで休憩をしてまた歩き出した。
すると線路際に出ることができたので、そこから網走駅へと戻ることにした。

ローカル線だからいいか!なんて軽い気持ちで線路上を駆け足で、
枕木をひとつ飛ばしで進んでいった。
(絶対に真似をしないでください。今なら大問題になります。)

もう少しで網走駅に到着するというあたりで突然踏切の音が鳴り始めた。
僕は慌てて駆け下りてフェンスを軽く飛び越え、道路に出た。

体はすっかり温まっていたので喉が渇いた僕は自販機で梅ソーダを購入。
一気に飲み干して網走駅に戻っていった。

網走駅に戻ったころには時刻は8時に近づいていた。
待合室ではテレビのニュースで気象情報が流れ、朝の気温はそこで知った。

13℃。 野宿するには寒すぎた。

ところで、残り1時間をどうやって過ごそうかと考えながら
待合室の一番後ろのベンチに座った僕だったが、また驚きの出来事があった。

あらあらど~も!

それはひとつ前のベンチに座って何かをしている2人の青年のことだが、
よく見るとカメラのフィルムケースでハエを捕まえようと時間つぶしをしている。
「ばかだねぇ」 なんて思いながら顔を見ると、 「あ、この顔知ってる・・・あ!」

「また会うたなぁ」

そう、音威子府駅でスタンプを押すとき、そして急行天北の中で会った二人、
京都・長岡京発の二人だった。

僕がここに来るために考えたもう一つのルート、
「旭川乗換え、急行大雪」を選択し、先ほど到着したということだった。
それでそれから約1時間たわいもない旅行談義に花を咲かせた。

途中、一度だけそこから離れてみどりの窓口に僕は向かった。
例のごとく北斗星のソロのキャンセル待ちを狙ってのことだったが
予想通りそんなチケットはなかった。

でもこの窓口で観光記念入場券を一つ買った。
記念入場券・網走駅
昨日の夜に通った道に「←能取岬」と書かれていたことを思い出し、
「へぇ~、こんな灯台やったんか~」とつぶやきつつ眺め、リュックのポケットに入れた。

再び彼らの元に戻ると、まだフィルムケースでハエを追いかけていた。
そして続けること1時間(いや、もっと前からやっていたかもしれないが)捕獲。
それとほぼ時を同じくして、案内放送が流れた。

「釧網本線、釧路行きをご利用の方は改札いたしま~す」

ふたたび鉄道旅へ

特急オホーツク号国鉄特急色それで僕も輪行袋を肩にかけて改札へと向かった。
ホームには釧路行きの釧網本線の627Dとともに札幌行特急オホーツク4号が
出発の時を待って並んでいた。

キハ56とスラントノーズのキハ183という懐かしい北海道を代表するコンビ。

僕は写真を撮った後座席を確保し、のんびりと出発の時を待った。
オホーツク海に面した北の都市の駅、網走駅。

そこで釧路行き釧網本線627Dの出発を待つ、まったりとした時間を過ごしていた。
いつもの通り、輪行袋を乗降口の横にある手すりに括り付けてしっかりと固定。
そして、座席をとるために競い合うこともなく、進行方向左側(つまり海側)に確保。

そうしてボックス席について、向かい側の席にかかとをのせるように足を延ばし、
ぼんやりと昨日の旅行行程を振り返ったりしてみた。

「昨日の朝は稚内にいたんやなぁ。水族館も行って・・・
名寄本線に乗って・・・サロマ湖の横走って流れ星を見て・・・
深夜にラーメン食べてだまされて・・・寒い夜を・・・・」

思い出しただけでブルブルっとなったが、幸い車内は暖かかった。

そうしているうちに釧網本線627Dの出発時間がやってきた。
ディーゼルエンジンが唸りをあげはじめ、ゆっくりと出発した。

あ、そうだ。この線路、さっき僕が歩いてた線路や!あ、さっきの踏切や!
そんなことを思いながら車窓の風景に目をやって過ごした。

とはいえ、とにかくきつかった昨日の行程と
とにかく寒くて眠りにくかった夜のため、一気に眠気が襲ってきた。

それでもせっかくの景色だからと、うとうとしながらも車窓を見ていたため、
オホーツク海が見えたり消えたり、まぶたが閉じたり開いたりを繰り返し、
気付いたら臨時駅である原生花園駅に到着した。

ここ、原生花園駅はこの時期だけ多くの人で賑わうのか、たくさんの乗客が降りた。
駅から小高い丘が見えていてきれいな花々が咲いているのがはっきり見え、
釧網本線の車内からでもそれは十分に確認できた。

原生花園駅から次の止別駅までの間も黄色い花がたくさん咲いている素敵な景色。
こうしてオホーツク沿いの夏の鉄道風景を楽しんでいった。

止別駅を出発したら、次の斜里駅で降りるために身支度を整えた。
手荷物の数を確認し、輪行袋をほどいて列車が停車するのを待ったのだが・・・。
予想外にも、なかなか斜里に到着する気配がない。

まだかな・・・まだかな・・・と、時刻表を確認してみるとこの間11.5㎞。
時間にして11分もかかる、長い間隔の区間だった。

そうしてついに斜里駅に到着した。

いざ、知床!

僕はここから、この旅行最初のバスの旅をする。
何となく行ってみたい・・・、そんな思いで工程に含めた知床半島に行くためだ。
ウトロ、知床峠、羅臼。
なぜ行きたいのかなど自分でもわからない。
まして後に世界遺産に登録されるなんて考えもしない頃。

強いて言えば、部活の先輩がある百貨店の北海道展で入手したポスターの中に
「羅臼」の風景のものがあったから行ってみたくなったのかもしれない。

いずれにしても、鉄道のない秘境へと今僕の足は向かっている。
釧網本線斜里駅を出てすぐのところに斜里バスセンターがある。

ウトロに向かうバスはもうすでにバス停に停まっており、スタンバイOK。
このバスはJRバスではなく、斜里バスのため北海道ワイド周遊券でも乗れない。
だからバスセンター内に入って切符を別途購入した。

そして、すっかり暖かくなった陽気に誘われてソフトクリームも買ってしまった。
そうしてぺろぺろと味わっている僕だったが、なんだか痛い視線を感じた。

恐る恐るそちらに目をやると小さな子供がこっちをじっと見ている。
しかもまばたきもせずに・・・。ガン見!

僕はどうにもこらえきれず、バスの時刻表だけもらってそこを去った。
やがてバスの出発時刻、10:10になった。

バスの左側座席にどっしりと腰を下ろし、右手で輪行袋を捕まえたまま
出発の時を待ったが、2分遅れで斜里バスセンターを出発した。

最初は斜里の街並み、商店街の中を通ったが、大きな交差点を過ぎると一変。
広々とした野原を走っていくような雰囲気だった。
斜里駅前の斜里バスセンターから、バスが出て数分。

あっという間に広々とした野原の風景になった。
ぼんやりと外を眺めながら進むにまかせて行くつもりだったのだが、
バスの案内放送を聞いているとあることに気付いた。

「次は東一線。東一線。」・・・まったく反応なし。

そしてしばらくすると、「次は東二線。東二線。」・・・同じく反応なし。

さらに少し行くと、「次は東三線。東三線。」・・・。

そうだ。だだっ広いところで降りる人などいないが、目安としてバス停があり、
それは農道だか私道だか、とにかく道路の番号を呼び名としているようだ。
安易だともいえるが、位置関係を把握しやすいので結構良いかもしれない。

しばらく走ると峰浜という所に着いた。小さな子どもたちが恐らく兄弟で乗ってきた。
日の出というところから先は、そこまでの平坦さから一変して坂だらけになった。
山中に入りつつも時折オホーツク海が見えたりする景色の中を走っていく。

坂をのぼったり、下ったり慌ただしかったが、
高いところから見ると水平線でくっきりと空と海の青さが分かれている様子が美しく、
そのクリアな青に深く感動した。

サプライズのプチ観光!

さて、ここまで国道334号線を走ってきたバスだが、ここで迂回路に入っていった。
そしてカセットテープによる観光ガイド音声が流れ始めた。

「これからバスはオシンコシンの滝に向かいます」

オシンコシンの滝・秘境知床
なんだかお漬物を思い浮かべそうな名前だが、自分の予定外の面白そうな所に案内してくれるということでワクワクした。
オシンコシンの滝に到着したバスはそこでエンジンを止めて5分ほど停車してくれた。

後に世界遺産に指定された知床半島の名所のひとつだから、こうしてエンジンを止めて静かに眺められてよかったとつくづく思う。

そうして、僕にとってはサプライズの観光を終えて、バスは走り出した。
知床に関するガイド音声のカセットテープを流しながら進んだ。

その案内によると知床峠の標高は738mだという。やっぱり結構高い。
「出来ればこのバスである程度の高さのところまで連れて行ってほしいなぁ。」

そんなことを思いながら最前列で前を見ていた僕だが、期待は裏切られた。

バスはまた坂道を下って海岸が目の前という位置まで下りてきてしまった。
そして観光客でにぎわう場所にやってきた。
ここは知床秘境の玄関口の街、ウトロだ。ウトロ温泉も賑わっているようだ。

白亜の灯台、宇登呂崎は僕の好みのとてもきれいな灯台だったが、
昨晩の疲労と目の前のプレッシャーでちょっとうわの空で眺めてしまった。

ウトロバスターミナルで小休止した際に本物のバスガイドさんが乗ってきた。
いかにも大ベテランという感じのガイドさんだった。

そして、僕の輪行袋を見て、「お荷物、こちらの席に置いて下さっていいですよ」
と声をかけてくださってありがたかった。

バスはゆっくりと知床半島の奥へと進んでいく。
もう一つ白亜の灯台を見て、ほんの少し坂道を上がり始めたバスに淡い期待。

しかし、まだあまり進まないうちに、バスガイドさんがマイクを手に持って言った。
「間もなく知床峠入口~乙女の涙~です」

こうして、標高を稼ぐこともほとんどなくバスを降りることになった。
バスは止まり、降りようとしたとき先端の出口は狭くて輪行袋を降ろすのに苦労。
でもバスガイドさんが手伝ってくださって事なきを得た。

おばさん、いやバスガイドさんありがとうございました。
さぁて、目の前には700mほどの上り坂が立ちはだかっている。

は~~~。

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