【1987年8月】隠岐の島でのSUMMER VACATION | ページ 4 | 列車データ館
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【1987年8月】隠岐の島でのSUMMER VACATION

鉄道旅行記
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無事に島前・西ノ島の観光旅行を終えた翌日、隠岐の島を離れる日がきた。
「旅行」という言葉があまり馴染まないくらい長い旅行だったから、
引越しに似た変な気分だった。親友とも別れの時だ。

「来月引越しやったら、今度会うのは大阪に帰ってからやな」
そう言って僕は2階の乗船口からフェリーおき に乗り込んだ。

夏の終わり。カラーテープが所々でヒラヒラしている。
それでもお盆休みが終わって数日経っていたからか人影はあまり多くなく、
ひっそりとした船出となった。

乗降口があがり、固定ロープを船に巻き上げるとすぐ、じわじわ船は岸を離れた。

さよなら、隠岐の島。時間が止まったような「ちょっと昔の風景」。

おき西郷港を見るのもこれで最後かな。そう思いながら上の方を見ると、
帰れ、竹島われらのもとへ!という、さらに遠くに思いを馳せる看板があった。
さすがに実感はわかないが、竹島は当時の隠岐郡五箇村の一部で、
現在隠岐の島町の一部だとのことだ。

最後の最後にちょっとしたうんちくを蓄えて隠岐の島とさよならした。

じわじわ岸から離れていたフェリーは大きな汽笛と共にエンジン音をうならせ、
力強く前に進み出した。西郷湾の外に出るところまでは比較的ゆっくり。

その後ろから勢いあるエンジン音が。高速船マリンスターだ。
音がだんだん大きくなりフェリーを追い抜いていった。

その後、フェリーもどんどん進み、まっしぐらに七類港に向かっていった。
約2時間半。隠岐汽船フェリーの船旅は流れるように過ぎた。

昨年は夕方に七類港に到着する便だったが、今年はまだ昼に本土到着。
ちょっとゆったりした気分で輪行袋を開け、自転車を組み立てて走り出した。
そして今年もあの強烈な坂を登り、境水道大橋を渡って境港駅へ滑り込んだ。

境港駅に到着した僕は、またすぐに自転車を解体した。20分も乗っていないが。
輪行袋を担いで改札を通り、ホームに上がってみると思わず「うわっ!」と一言。
JR境線
そこには予想外のペイントが車体一面に施されたキハ40がいた!

全体が、魚、魚、魚、ぎょ! おさかな列車。(1両だけど)
でも不思議なもので、見慣れてくるとかわいい。少なくとも鬼太郎列車よりは・・・。
そんな単行気動車キハ40が、心地よい風吹くのどかな弓ヶ浜を走り、
僕の旅行に久し振りの「鉄道の味わい」を取り戻させてくれた。

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