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【1988年8月17日】まったり過ごす根室駅、そして急行ノサップ

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鉄道旅行記

根室駅での約1時間は、ただの待ちぼうけの1時間ではなかった。
ツーリングトレインをじっくりと眺めたり、駅舎内の待合室で設備を眺めながら、
さっきの昆布スナックを食べたり。

そして、もう一度駅舎を出ると、駅前に「たい焼き屋さん」があることに気付いた。
その店の名は・・・・「うまいんでないかい」

なかなかいいネーミングだ。
このお店でたい焼きを3つ買ったところ、ポップコーンをおまけに付けてくれた。
早速たい焼きをほおばったが、甘すぎず、フカフカした、美味しいたい焼きだった。

どうやら、たこ焼き屋さんでもあるようだが、たい焼きの記憶しかない・・・。

9:32になり、釧路からの一番列車が到着した。
キハ54系キハ22形の2両編成。
いわば、当時の北海道の地方路線のスタンダードである。

改札の外で到着した列車を眺めていると、サボを入れ替えている様子が目に入った。
よくよく見ると、差し込まれたサボには
【根室|急行ノサップ|釧路】 と書かれていた。

「お!急行と鈍行と同んなじ車両かいな!」

とにもかくにも、これから僕が乗ろうとしている車両が目の前にいた。
とはいえ、まだ急行ノサップ号の改札業務は始まらないので、
最後のたい焼きにかぶりつきながらその時を待った。

ついに急行ノサップ号の改札開始時間が来た。
北海道ワイド周遊券を見せながら、
大きな輪行袋を抱えて改札を通ろうとすると、

「それ、手荷物料は?」と聞かれた。

後に自転車には不要になった手荷物料金も当時は必要で、所々で支払っていた。
ただ、その基準もあいまいだったため、「言われたら払う」といった対応をしていたのだ。
急行ノサップとツーリングトレイン
そうして支払いを済ませた後、僕は急行ノサップ号に乗り込み、
自転車の輪行袋を固定した。

まだ出発まではもう少しの時間があったのでホームに降り、
その終端まで行ってもう一度ツーリングトレインを眺めた。

決して快適とは言えない雑魚寝空間。
それでも思い出づくりには最高の、貴重な体験だった。
もしいつかまた利用することがあれば寝袋を持参しよう!なんて思ったが、
その夢はかなわぬものとなってしまった。

キハ54 520を先頭に、キハ22 242を従えた2両編成。
そのキハ22の方に僕は席を取った。
昨日も利用した木の床の車両で、この旅の印象的な車両の一つとなった。

10:28。発車を告げる放送が流れ、そのBGMで「ホタルノヒカリ」が流れた。
10:29。ついに列車は出発。
終端駅らしい演出の中の出発は、なぜか胸が苦しい。

さて、この日はかなり余裕のあるスケジュール。
札幌行きの急行まりもが夜に出発するときに釧路駅にいればいいわけで、
それまでの時間をどんなふうに過ごそうか、そんなことを考えながら、
急行ノサップ号の旅は始まった。

8月17日午前10時29分。
定刻通りに急行ノサップ号は根室駅を出発した。

たった2両編成の、しかもキハ54はともかくキハ22という
一般型バリバリの車両を従えて走る姿はとても急行とは思えない、
みしみしと音がする、なんとも親しみを感じる(笑)、そんな列車だ。

出発して最初は東に向かって走り出すが、右に大きくカーブして一気に西を向く。

日本最東端の駅、東根室駅を通過するのもこのカーブの途中だ。

そして市街地はあっという間に消えて広々とした牧場地帯に入った。

やがて遠くに海が見えてきた。
そして海と急行ノサップの間には、まさに「緑のじゅうたん」。

途中には面白いものが見えた。
それは乳牛のような模様の駅、西和田駅だ。
一瞬で通過した割には強いインパクトがあった。

しばらく行くと、厚床駅に着いた。
そう、昨晩標津線から乗り換えた駅だ。
薄暗い中を慌ただしく過ごした「あの雰囲気」とはずいぶん違っていて、
静かながらもいい感じの駅だった。

そして列車は先へと進み、浜中駅に停まった。
ルパン3世で有名なモンキーパンチさんの出身地ということだが、
この当時はそんな噂を耳にすることもなかった。
それでも、下車印をしっかりゲットできた。

僕はこの後、道内時刻表とにらめっこしてこの日の予定をいろいろと考え始めた。

はっきり決まっていることはただ1つ。
この夜に急行まりも号に乗って札幌に向かうことだけ。
つまり、急行まりも号が発車する22時28分に釧路駅に居さえすれば、
それまでは何をしてもいいことになる。

そして、急行ノサップ号にこのまま乗って行けば釧路駅に12時37分に到着する。
なんと、約10時間もの待ち時間があるのだ。

というわけで、「知~らな~い~、ま~~ち~を~、あるい~て~み~た~い」
という気分になり、厚岸駅で降りてみることにした。

11時51分。急行ノサップ号が厚岸駅に到着した。
この駅は根室本線東部(現・愛称:花咲線)にあって中心的な駅だ。

釧路駅とこの厚岸駅を結ぶ列車も3往復設定され、
一日の全11往復中の3本が当駅始発終着なのだから高い割合だ。

ということで、どんな駅なのかなと期待して降りてみた。

急行ノサップに軽く別れを告げ、改札に向かうと駅員さんが笑顔で迎えてくれた。
駅員さんはとても親切で、僕の「ちょっと破れかけた北海道ワイド周遊券」を見て、
駅員室に戻ってセロハンテープで補修してくれた。
ホッと、心温まる思いがした。

駅員さんに観光案内図をいただいて、それを眺めながら、
「おぉ~、この厚岸大橋ってとこまで行ったら景色いいかな」なんて思いつつ、
輪行袋を駅舎内の端っこに置かせていただき、身軽になって外に出た。
ちなみに、次の列車が来るのは12:47。 50分ほどのリミット。

駅前のまっすぐの道を進むとつきあたり。そこから少し海が見えた。
海鳥たちが飛んでいるのを眺めながら、あたりを見渡してみた。
そして厚岸大橋はというと、「結構遠いなぁ」
見た感じ、30分弱かかるかなぁと感じたため、行くのは取りやめにした。

その代わりに街中を少し散策することにした。
田舎町だから当然だが、目立ったものがいろいろあるわけではなく、
昭和らしい町並みと個人商店がポツポツ並んでいる駅前だった。

あ! と、そこで目に留まったのが「金物屋さん」(工具屋さん?)。
中湧別駅前でアーレンキー(六角レンチ)の6ミリが無いことに気付いて以来、
5.5mmを代用してきたが、ついにここで6mmを調達することができた。

ただし、1本売りをしているのではなく、何本かのセットだった。
「う~ん、こんなに何本もいらないんだけどなぁ」と悩んでいたら、
340円を300円に値引きしてくださった。ありがたい!

お店のおばさんは興味津々で、いろいろ質問してくれた。
「どこから来たの?」
「大学生?」 ・・・などなど。

僕が高校3年生だと答えると、
「あらぁ。余裕だわねぇ。」 と一言。
確かに、僕の同級生でもこの年にこんな旅行をしている友人は誰もいなかった。

さて、駅前界隈をぶらぶらしただけなので、意外と時間は経過していなかった。
駅に戻り、構内を観察したり、駅員さんとおしゃべりしたりした。
駅員さんは青函連絡船のポスターをはがす作業をしておられたが、
そのポスターを丸めて、「記念に持って行く?」と、プレゼントしてくれた。
思いがけないプレゼント、とても嬉しかった。

そうしているうちに、次の列車530Dの時刻が近づいてきた。
ほんのちょっとのぶらり途中下車だったが、
おそらく二度と来ない街に降り立った、貴重な時間だった。

530D列車は走り出し、各駅に停まりながらも一路釧路駅を目指した。
釧路駅着は13:48で、夜の急行まりも号出発までは自由時間。

「さぁ、次は何をしようかなぁ」
と道内時刻表をペラペラめくりながらまた計画を練り始めた。

でも、釧路駅到着の少し前、右手の方から合流してくる線路を見て、
「あぁ、釧網本線にもちょっと乗ってみようかな」 という気になった。

東釧路駅で乗り換えてもいいのだが、
釧路駅まで行っても十分に乗り換え時間(23分の余裕)があるので
そのまま釧路まで530Dに乗ったまま向かった。

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