【1988年8月19日】良一さんを待つ時間~やり残したことないかな~ | 列車データ館
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【1988年8月19日】良一さんを待つ時間~やり残したことないかな~

鉄道旅行記
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1988鉄道旅行★北海道の目次

予定通り着きました!

急行まりも号を見送り、改札に向かうべく跨線橋を渡ろうと思ったが、やはり輪行袋が重く感じられて一歩一歩の足取りが重たい。それで少し気が引ける思いはあったが1番ホームの片隅(邪魔にはならないが人目にはつく所を選んで)に括り付けて置いておくことにした。「ごめんよ~。後で迎えに来るからなぁ。」

そうして改札を出てから公衆電話で良一さんに電話をした。

「おはようございます。予定通り、先ほど札幌駅に到着しました~。」そう言うと、

「あ、おはよう。着いたの? いやぁ、朝食がまだでさぁ。食べたら新聞読みたいしさぁ。コーヒー飲んでからだと~、10時半くらいでどう?」

お!きたきた!超マイペースが発動した!

「10時くらいでもいいんだけどさぁ」

と、空気を感じての譲歩案が続いた。念のため記すが、時刻はまだ朝の7時をまわったところである。3時間も朝食を食べ続けるのはきついぜ! とはいうものの、こちらはお世話になる立場。精一杯丁重にお願いしてお迎えは9:30ということになった。

そうと決まれば腹ごしらえをするかな。
記憶が正しければ入ったお店は「シュガーポット」という名前の喫茶店。やや料金お高めの店だと気付いた時には遅し、アイスティーだけを頼んだ。ゆっくりと時間をかけるのには飲み物しかないし、ここでの時間はそこそこで終わった。

さぁ何をしよう?

改札中の列車案内を見上げてみると小樽行きの文字が目に入った。う~ん、2時間の猶予で小樽まで往復は・・・向こうでの待ち時間によっては不可能とは言い切れないものの、危険だから・・・途中まで行って引き返すことにしようか。そう思ってとりあえず乗り込んでみることにした。

自転車の輪行袋はホームにそのまま、置き去りにして・・・。

札幌近郊極小旅行~西へ東へ

7:34。 小樽行きの124M電車に飛び乗ったはいいが、さぁどこまでいけばいいかな。道内時刻表をパラパラとめくり考えた。さすがに道内屈指の高密度運転区間だけあって、どの駅で降りてもそれなりに引き返すのは簡単だ。それでも手稲駅始発の列車が多いことを考えると、この駅はそれなりに重要な駅なのかもしれない。もしかして、駅のスタンプもあったらいいな。そう思って手稲駅まで行くことに決めた。

札幌から手稲は約20分。時刻表であれこれ考えているうちに目前まで来ていた。7:53に到着し、かなり大勢の乗客が降りた。人の波にのまれるようにして改札になだれ込んだ。そして僕の目に飛び込んできたのは「あれ」だった。

あった!

函館本線・手稲駅のスタンプ

函館本線・手稲駅のスタンプ

テイネオリンピア?
言葉の響きからするとオリンピックに関係があるようだから1972年の札幌オリンピック関連の施設があるのだろうか。いずれにしても期待にたがわずスタンプをGETできた。人の波が収まったころ、周遊券に下車印も押してもらった。

さぁ、戻るぞ! ホームに向かうと列車が勢いよく入ってきた。手稲駅始発の札幌行き1133Mだ。たくさんの人がこの列車に乗ろうと待ち構えている。僕はその様子を見て「先を急ぐわけじゃないし、次の列車もすぐに来そうだからスルーしよう」と思った。

実際、次の列車は同じく手稲始発でディーゼルの列車だった。僕はこの北海道ですっかり気動車にやみつきになっていて、電車よりこちらに乗ることにしてよかった!と感じた。

1135D。 ドアが開いて乗り込もうとしたらあっという間に座席が埋まってしまった。大都市近郊は恐ろしい。田舎者のように椅子取りゲームに敗れた僕は他に空いている席がないかと探して歩いた。すると一か所だけ空いていた。

なんと、運転席の反対側の席。普通に座れる状態で空いているではないか。
「よかった~。座れた~。」とそこに座って窓をあけて気持ち良く過ごした。たくさんの乗客が乗っているのに自分だけの空間のような不思議な感覚。窓を開けて歌を歌った。そして足置きのようなものがある・・・と思ってふとそこに足を乗せた瞬間・・・

 

プワ~~~~ン!

なんと、そこは足置きではなくタイフォンのペダルだったのだ。
あ~、こわかった。

さて、札幌に着くのは8:31。 待ち合わせにはまだ1時間ほどある。さぁどうするか。今度は反対方向にもちょっと行ってみるとするか!

スリリングな1135Dの極小旅行はあっという間に終わった。札幌駅3番線着。

札幌近郊極小旅行~東へ西へ

到着した3番線ホームに飛び降り、走って跨線橋を渡った。目的は7番線。苫小牧行きの普通列車への乗り換えは2分の猶予しかない。それでも何とか間に合って744Dに飛び乗ることが出来た。これは、輪行袋を担いでいたらできなかっただろうな。

8:33 出発。目的地は・・・苗穂。お隣の駅である。たった一駅だが、この区間には車両基地が見え、よだれをたらさずに乗ることなど不可能な区間なのだ。エンジン音は低くゆっくりとした動きで進んでいった。

もう何度目だろう。豊平川の橋を渡る音を感じながら今回の旅でここを通った回数を数えなおしてみる。①急行はまなす②特急オホーツクで富良野に向かう時③その帰りの特急ライラック④急行ちとせでの時間つぶし⑤その帰り⑥急行利尻⑦急行まりも⑧臨時特急北斗⑨急行まりも。というわけで、この度が10回目だった。

その都度、苗穂の車両基地を眺めてワクワクするひとときを楽しんできた。ただし、苗穂駅で下車する時は注意が必要だ。車両基地が見えたらまもなく駅であるサインだからだ。快速ミッドナイト号の車両が目に入った時には心の中でウォーッと雄たけびを上げていたが後ろ髪を引かれながら気持ちを下車に切り替えた。

ここ苗穂駅も手稲駅と同様に多くの人が降りて人の流れがすごかった。「ここにもスタンプあるかな?」と期待を抱きつつ一旦改札の外へ。残念ながら駅員さんがいる駅すべてにスタンプがあるわけではなく、ここにはないことが分かった。

時刻は8:40。さぁ札幌に戻ろうか?と思ったところ、さらに東へ向かう列車が来た。それは831レ、客車鈍行じゃないか!。
「あれ、こんな列車あったっけ?」
そう思ったのは千歳線方面の時刻表だけを見ていたからだ。やってきたのは岩見沢行きだ。札幌~白石間はこうして方向が全く異なる列車たちが行き交い、時には並走することさえあるワンダフルゾーン。まさかの客車鈍行がやってきたのだから乗らない手はない。もっとも、白石から先の厚別あたりまで行ってしまうと札幌に戻る列車があるかどうか心配だから白石までにしよう。
(※実際には9:26に札幌に戻れる列車があったが、瞬時にそれを判断することはできなかった)

それにしても、ここでまた客車鈍行に乗れるとは! いくらディーゼルにやみつきになったとはいってもこの客車鈍行の味わい深さにはかなわない。なんとこの831レが、僕にとって最後に乗車した定期客車鈍行となった。

8:48。 白石駅に着き、念のためスタンプの確認をしたがここにもなく、下車印だけ押してもらった。タイムリミットは42分。これ以上進んで待ち合わせに遅れるリスクを負うのは僕の性に合わない。さぁ引き返すとするか。

旭川からの鈍行一番列車である2132Mがホームから出ていくのが見えたので、次の列車を確認する。10分後にやってくるようだ。ゆったりした気持ちで列車を待つ。
「どんな列車かな~。」
時刻表をめくると、それは千歳空港からやってくる1739Mであることが分かった。いわゆる赤電、711系である。この頃の一般型電車はこれしかなかったから100%、間違いない。そしてよく見ると札幌から快速マリンライナーとなって小樽まで行く列車だと分かった。
「これもたのしそうだな~」

しかし、そんなことを感じるたびに実行していてはいつまでたっても大阪に帰れないだろう。この赤電に乗り、札幌には9:10に到着した。2時間半の空白の時間は望むところではなかったが、北海道の鉄道の面白さを味わい尽くす貴重なひとときとなった。何というか・・・、ありがとう、良一さん。これで、やり残したことがなくなったよ。

さぁ、まだ時間あるし、駅そばの大盛でも食べるとするかな。

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