国鉄境線、境港駅。ここは終端票が立つ、果ての駅。
久しぶりに立つ鉄道の駅はやっぱりとっても落ち着く場所だった。
たとえそれが初めて訪れる駅であってもだ。
駅はシンプルな瓦屋根の建物、改札を抜けるとホームの端に出る。
そこから少し進んだあたりに列車が停まっているので、
まっすぐ、自転車を肩に掛けて前に歩いていった。
僕が座ったのは通路の右側のボックス席。4人分のスペースを贅沢に使った。
輪行袋に入った自転車もそのスペースに持ち込んだ。
乗客はそこそこだったが、混み合っているというほどではなかったので、
どこかにくくりつけるよりも僕にとって都合が良かったからだ。
さて、僕が乗り込んだ気動車はやがてエンジン音を上げて米子を目指し始めた。
ここ弓ヶ浜という半島は「砂州」という特殊な地形で全国的にも有名な所。
この細長い半島をのんびりと走るこの路線は景色も美しく、心地よい。
余子駅、高松町駅、中浜駅と一つずつ進み、右手松林の先に米子空港が見える。
少し懐かい、TDA(東亜国内航空)の飛行機の姿が見える・・・。
河崎口に着く頃にはずいぶん街らしい雰囲気が広がっている。
もう米子駅もかなり近くなっているのだろう。
町の中では列車がスピードを落とし気味に走っている。
富士見町、博労町を過ぎると終点の米子だ。
地方都市のターミナル「米子」はディーゼル車の香り漂う、国鉄テイストの駅。
到着したのはもう夕闇が覆い始める頃だった。今から最後の夜の撮影会だ!
国鉄米子駅から東西へそれぞれに出入りするディーゼル特急たち。
小郡に行く特急おき、大阪へは特急まつかぜ、そして博多行特急いそかぜ など、
キハ181系が来ては折り返してゆく駅。
その間をぬってL特急やくもが岡山・出雲市の両方向から来て花を添える。
この駅には他にもキハ58系急行の姿やヘッドマークつきのライナー系快速も来る。
わくわくするような時間が過ぎていった。
とりわけ僕にとって思い出深いのは、ホームから離れた線路上で停車中の特急いそかぜ。
ヘッドマーク交換の作業員さんが、「近くで写真撮りたい? 今なら降りてきていいよ」
と、予想外の言葉を掛けてくださったことだ。
特急いそかぜのヘッドマークにも触れることが出来、写真も撮れた。
でも本当に忘れられない体験をさせていただいて本当に感謝。
最後にやってきた列車は、ジョイフルトレインふれあいSUN-IN。
デビューしたばかりの車両を見られて感激だった。
こうして、米子駅での撮り鉄の宴を終えて、
大阪までの帰りの列車、急行だいせん6号の到着を待つことにした。
1986年夏の・・・言い換えれば国鉄最後の夏の鉄道旅行もこの夜が最後の夜、
まもなく到着する夜行急行だいせん6号に乗ってしまえばそれで最後。
米子駅での鉄道写真撮影会を存分に楽しんだが無性に寂しさがこみ上げてきた。
僕は、写真撮影の間ずっと柱に縛り付けておいた自転車を解きに行き、
帰りの乗客として乗り込む準備が整った。
一抹の寂しさなどという気持ちにお構いなく、DD51&20系の重厚な列車が到着。
今から僕が乗る、急行だいせん6号だ。
発車まで少し時間があったが、まずは座席を確認しておく。
帰りの列車はもうお盆休みを過ぎていたからか、それほど混雑はしていなかった。
急行だいせん5号の時は乗客でいっぱいだった。あれは遠い昔の様な気さえする。
帰りは輪行用のスペースも十分な余裕があり、安心してデッキにくくりつけた。
長い停車時間があったはずだが、非情にもその時間は飛ぶように過ぎた。
22:34。 急行だいせん6号は、定刻通りに米子駅を出発。
線路の向こう側では先ほど撮影し、触れることもできた、いそかぜ号が。
どんどん遠ざかり、いそかぜもホームの灯りも小さくなっていった。
その直後、寂しさ以上に疲労感が襲い、すごい勢いで爆睡してしまった。
次に目ざめた時にはもう和田山。薄暗い駅のホームに列車は滑り込んだ。
「さっき、鳥取県の西の端やったのに」と、まるでワープでもしたかの様な感じ。
真夜中。乗降客など一人もいない。
そして、何事もなかったかのように走り出す列車。
その後、福知山までの間はぼんやり外を眺めていたが、
気が付いた時にはまた眠りの中。
なんだか慌ただしく人が流れていると思ったら、
それはまぎれもなく大阪駅到着だった。
最後の駅まで乗るという願いはかなったのだが、
疲労感に負けた急行だいせん6号の旅は、
まるで幻のような、あっけないものだった。