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【1987年10月】北半九州修学旅行へ~後半=帰阪~

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鉄道旅行記

空腹のまま一夜明けて、修学旅行5日目。

この最終日は大移動。朝ご飯を終えるとすぐにバスに乗って出発だった。
我が牧野高校ご一行様は長崎市街を出て大村湾の西側をどんどん北上し、
どんどん国道206号線をバスで走り続けていった。

「5日なんて早いもんやなぁ。あとはもう帰るだけやで。」なんて言いながら、
しょんぼりしていた僕たちだったが、その中の数人が突然、
バスガイドさんの一言で、大いに盛り上がる出来事があった。

「ちょっと右を見てもらえますか~。大村湾の中、正面に見えているのが詩島です」
(ほとんどの生徒:沈黙。 4人だけ拍手喝采)。

そう、詩島とはさだまさしが自費で購入して個人所有となった島であり、
その名前を知っていた4人だけが大いに盛り上がり、釘付け状態。

「あれがそうなんかぁ。・・・」 (その他の生徒 : 「ふ~ん。そぅ。」)

その後、バスは西海大橋を通り、数年後にハウステンボスになる所など、
大村湾の北の端にあたる地域を通って東彼杵町まで来た。

そして、最後のおみやげ購入地ということで一同が立ち寄ったのが、
カステラセンターとかいう場所だった。
ここに立ち寄ることは最初の予定から決まっていたことだったが誤算があった。

そこはメーカー直販店だったため、福砂屋のはなかったのだ。

カステラセンターというくらいだから全メーカーの物があるかとの期待は外れた。
長崎を少しでも知る人は福砂屋のカステラを望むらしい。
僕自身はそこまで強いこだわりはないのだが、何となく残念だった。

それでも味はとってもおいしいカステラだったので
家族へのお土産として一本購入してバスに戻った。

カステラセンターを出たバスは高速道路に乗り、福岡を目指して走っていった。
しかし、途中に見えた「嬉野温泉」の看板以外はほとんど何も覚えていない。
バスガイドさんの声に起こされた時にはすでに福岡市内。

そしてまもなく、バスは博多駅近くに停まり、そこから駅までは歩いていった。
駅の前まで連れて行ってほしい気分だったが、そうもいかなかったのだろう。
おそらく、全12クラス分のバスがいっせいに駅前のロータリーに入ると
大変な状態になるからだと思われる。

駅前に着いた時先生は言った。「少し自由時間や。集合時間を守れ。それから、
荷物を宅急便に出したりするなよ。荷物の重さも修学旅行の重い出や。」

それを聞いてかなりの生徒が「なるほど!そういう方法があったか!」と大喜び。
宅急便取扱窓口に長蛇の列ができた(笑)。

僕はというと、そんなことより博多駅で在来線列車を少しでも見ようと、
入場券を購入しに走っていった。


そこに停まっていたのは短い編成の特急みどり号だった。
期待にしっかり応えてくれた博多駅だった。
ひげなしのボンネット車両は当時の九州ならではだ。
結局見ることができたのはこれだけだったが、関西人にとっては大収穫!

さて、あっという間に集合時間が来たため、みんな新幹線改札口へ。
集合した僕たちはクラスごとに、順番にホームへと進んでいった。

先生の言葉を逆手に取り、結構身軽になったクラスメイトが多い中、
僕は荷物にまみれ、疲労感いっぱいの身体にむち打ち、新幹線に乗り込んだ。

3人がけのシートにすっぽり納まり、ひたすら爆睡しながら帰阪した僕たち。
その後の記憶が何にもなく、死んだように眠っていたのだが、
今こうして生きていることが、無事に帰った証しと言えよう。

しかし、宮原客車区と新大阪駅はいつ通ったんだろう・・・・。

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