ー=◆ 総合索引はこちら ◆=ー

【1987年8月】山陰の旅、そして様変わりした急行だいせん

・スポンサーリンク・

松江とお別れの夜、藤田さんは親切に駅まで車で送って下さった。
おかげで、松江駅前で自転車を解体したり輪行袋を広げたりせず、
ただ荷物を肩から下げてまっすぐ改札に向かうことができた。
藤田さんにありったけの感謝と別れを告げ、通路を進んだ。

改札口の前にある窓口で手回り品切符を発行してもらったが、
手書きのもので、車内販売切符の色違い版という感じだった。

輪行・鉄道旅行の必需品「手回り品切符」

現在では自転車を載せるのに手回り品切符は不要だそうで、
この切符を使っていたのも、ちょっと昔の話だ。

さて、その後階段を昇ったが、旅行に出た時にあれほど痛かった
日焼けの肌もすっかり冷めて痛みはすっかり消えていた。
つまり、それだけ長い時間が経過した旅行だったんだと実感。

この階段は痛みではなく疲労のためちょっと長く感じたが、
僕の乗る4号車がちょうど真ん中あたりだったため、ちょうどの位置。
階段を上がってすぐだったので本当にホッとした。

やはり、長い旅行の最終日に自転車で日御碕まで往復したのは
ちょっと過密スケジュールだったかもしれない。

そうして荷物をホーム上に置き、急行だいせん号の到着を待ったが、
そんな僕の隣りにはあの自販機があった。
そう、興味がわいただけで手は伸びず、実際に買うことのなかった、
二十世紀梨ドリンクの自販機だ。こいつとももうお別れだ。

松江駅ホームの上で出雲市方面をじっと見つめていると二つの灯り。
遠くから見えてきたのはやや低い位置のライトだ。

そう、DD51機関車に違いない。急行だいせん号の到着だ。
ブオォォォーーーンと機関車が大きなエンジン音を響かせたのに続き、
12系客車が入ってきた。6号車から1両・・・2両・・・・・・3両。
4号車がちょうど目の前で止まり、3号車以降の14系寝台は
チラッと見えただけだった。

まずはいつも通りデッキの手すりに輪行袋をくくりつけ、しっかりと固定。
自転車が倒れないようにしたら、今度は自分の座席に行かなければ。

8番A席・・・・あ、ここか。えぇ~~っ!人が座ってる!

そうだ、米子駅までは自由席なのだということにここで初めて気付いた。
この列車には通勤客など、様々な人が乗車して混雑。
仕方がないのでその近くで偶然にも空いていた席に一時的に座って
米子に着くのを(または空席になるのを)じっと待つことにした。

ちょっと盲点だった指定席事情。長旅にはちょっと辛いものがある。
しかし、ありがたいことに安来駅を出て気が付くと、
僕の指定席はすでに空いていた。どこかで降りられたのか。
それで米子駅到着の一足先に自分本来の席に移動できた。

ホッとして、大きいカバンを棚に上げ、小さなポーチだけ
手に持って座りながら夜の景色を見つめた。
時刻表を開いて米子駅での停車時間を確認した。到着は22:04。
そして、出発は22:42。つまり停車時間は38分と長い。

これはもう一度ゆっくり米子駅での時間を味わえる!
そう思いながら米子に到着するのを待った。

タイトルとURLをコピーしました